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野村克也の凄さを振り返る。ID野球、再生工場…奇跡の3年間

野村IDの初優勝は多くの感動と共に

野村克也元監督永眠に関して

画像:東京ヤクルトスワローズ公式サイト

 球界全体に野村監督の代名詞ともなった「ID野球」が知れ渡り、優勝候補にも目された就任から3年目の1992年。ついにリーグ制覇を成し遂げたこの年、感動的なシーンにも彩られることにもなった。  開幕直後の4月7日には高野光が右肘の故障から、7月には伊東昭光が右肩の故障から復帰、何れも先発投手として貴重な戦力となっている。さらにシーズン最終盤には4年以上戦列を離れていた荒木大輔も復活マウンドを踏んだ。3者とも1980年代の新人の頃よりスワローズを支えてきた功労者でありながら、怪我に苦み続けた。それ故、高野、伊東等は復帰し勝利を挙げたゲームでのお立ち台では、両投手とも涙を隠そうとはしなかった。  さらに荒木は、首位争いが激しさを増した9月24日、4年振りの一軍マウンドに送られている。優勝を争う広島とのゲームの7回、1点ビハインドの場面でリリーフに立ち打者一人を抑え、その裏、古田が逆転の2ランを放ったことでこの試合の立役者の一人となった。また、この年のセ・リーグ優勝決定試合となった10月10日の阪神戦に先発として起用され、見事に勝利投手となり、「救世主」として監督の期待に応えている。  史上稀に見る激戦となったこの年のセ・リーグのペナント争いにおいて、長期間に渡る怪我との戦いを克服した3投手を、迷うことなく戦線に送り込んだ野村采配。チーム14年振りの優勝を後押しすることになった3人のベテラン右腕の復活劇は、若きツバメ軍団を成長に導き、すでに他球団に恐れられるほどに完成の域にあったID野球という緻密なイメージからはどこか一線を画すような、人間味に溢れた野村さんの選手起用だったと今もなお、感じている。<文/佐藤文孝>
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