仕事

客の暴言に耐え忍ぶコールセンターでの日々…僕はサンドバッグじゃない

彼女は突然いなくなってしまった

 その日も社員食堂の窓際のカウンター席で彼女と話した。目の前には都心の高層ビル群の景色が広がっている。僕が数珠ブレスレットがほしいという話をなにげなくすると、彼女はそれに食いついてきた。 「私もほしい! あれってけっこうかわいいの多いよね」 「数珠ブレスレットの専門店があるけど、今度いっしょに行ってみる?」 「うん、行こう!」  しかし、香澄とそんなやり取りをしたほんの数日後のことだった。その日も彼女はシフトに入っていたはずなのだが、職場に彼女の姿がなかった。 「今日香澄ちゃんは休みか」  隣の席のオペレーターの男にそう言うと、彼はこう答える。 「いや、休みっていうか、昨日辞めたよ」 「はあ? なんで!」  晴天の霹靂だった。僕は前日休みだったのだが、彼はシフトに入っていたらしく、そのときの状況を詳しく教えてくれた。香澄はある問い合わせの電話にうまく回答することができなかった。それに対して客からひどい言葉を浴びせられたようで、わっと泣き出してしまった。そして「私、もう無理です」と言ってその場で退職してしまったのだという。 「まあ、所詮、彼女はこの仕事には向いてなかったってことだよ」  彼はそう言ってふッと笑った。ていうか、こんな仕事に向いている人間なんているのかよ。ひどい言葉を吐かれて心が傷つかない人間なんているのかよ……。僕は苦々しい思いで自分の席に着いてヘッドセットを装着する。プルルルル。すると、すぐにヘッドホンから響く着信音。パソコン画面の応答ボタンをクリックする。 「お電話ありがとうございます。○○○○お客様サービスセンター……」  そしていつものように我ながら気持ち悪くなるほどの高い声を絞り出した。香澄とはもう連絡の取りようがなかった。連絡先なんて別にいつでも聞ける。そう思いながら、結局、一度も聞いていなかった。こんなにも突然彼女がいなくなるなんて思ってもいなかったのである。  心の支えを失いながら、僕はその後も勤務を続けた。客からは相変わらず乱暴な言葉を浴びせられることが多かった。 「おい、早くしろ。こっちは急いでんだよ」  僕は沸いてくる怒りを飲み込んで冷静に受け答えする。 「申し訳ございません。少々お待ちください」 「いいからさっさと調べろ、バカ」 「はい……」  怒りを飲み込む。怒りを飲み込む。怒りを飲み込む……。ずっと怒りを飲み込み続けていると、やがて怒りを感じなくなっていった。が、その代わりに笑うこともできなくなっていった。次第に感情のないロボットのようになり、ただ淡々と業務をこなしていった
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公園でひとりヤケ酒を飲む
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バイオレンスものや歴史ものの小説を書いてます。詳しくはTwitterのアカウント@kobayashiteijiで。趣味でYouTuberもやってます。YouTubeチャンネル「ていじの世界散歩」。100均グッズ研究家。

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