更新日:2020年09月08日 16:37
ライフ

自粛警察にネットリンチ…正義ヅラした“屁理屈”をプロが斬る

「○○のため」を大義名分にする、「同情論証」という屁理屈

 一方、「番組のため」というような大義名分を前置きした上で、誹謗中傷など乱暴な主張を押し付けるテクニックを「同情論証」と呼びます。自粛警察の場合は、「日本のため」、「社会のため」という大義名分に置き換わりますが、同じ構造です。  同情論証においては、「子供たちのため」「差別をなくすため」といった言葉がよく使用されます。誰もが感情的に否定できず、同情、共感するであろう大義名分を掲げることで反論できない空気を作り、その後に暴論や偏見に過ぎない主張を展開する。  アメリカの国民的アニメ『ザ・シンプソンズ』に登場するヘレン・ラブジョイというキャラクターがこの屁理屈を多用するため、転じて「ラブジョイの法則」とも呼ばれています。  勘違いして頂きたくないのが、私は「子供たちのため」「差別をなくすため」という理念自体を否定しているのではありません。むしろ、非常に尊いものだと思っています。しかし、だからこそ同情論証は危険なのです。理念が尊いからこそ、暴論であってもまかり通ってしまう危険性があるのです。  さらに同情論証の厄介な点があります。それは、正義感や思い込みから、この屁理屈を無意識に使ってしまう人が少なくないことです。例えば、自粛警察の人々は、自分たちの行動が本当に社会のためと思い込んでいます。  しかし、そこには重大な情報や認識の欠落があるのも事実です。  コロナショックにおける影響には個人差があり、自粛していても生活が成り立つ人と経済的な死に直結する人では、そもそもの立場や前提条件が異なります。本当は感染リスクも経済リスクも同等に語るべきなのに、感染リスクばかりを煽る情報に触れているうちに、「何かなんでも自粛するのが正義」と思い込むようになってしまう。  偏った情報に触れるうちに、偏った正義感から同情論証で一方的な主張を押し付けるようになる。これは、私たち誰もが気をつけるべきリスクです。

アフターコロナでは「悪意ある言葉」とも距離を取る

 このように厄介な同情論証。そこから身を守るには、まず「○○のために」という言葉を省いて、相手の主張が何であるかを確認することです。  例えば「子供たちのために」という理念については誰も否定しませんから、その部分は早々に同意すればいい。同様に、過激な自粛警察の「社会のために徹底した自粛を」という主張に対しては、「社会のために」という部分には「私もそう思います」と共感してしまう。その上で、「社会のためを考えれば、感染リスクだけでなく、経済リスクも考慮すべきです」と新たな論点を提示すればいいのです。※これはあくまで議論の場での対応であり、SNSなどで同情論証を駆使した主張に出会った場合、「つまらない屁理屈」としてまともに取り合う必要はありません。  このように一方的で乱暴な主張を、姑息なテクニックによって無理矢理押し付けようとする「言葉の暴力」。  今回は「多数論証」と「同情論証」の2つを紹介しましたが、ほかにも「わら人形論法」「連座の誤謬」「前件否定の虚偽」など数多くのテクニックがあります。こうした屁理屈はSNSだけでなく、国会答弁やワイドショーのコメントなどにも散見され、中には議論のプロでさえ気づかずに丸め込まれてしまうほど巧妙なものもあります。  ですから、言葉の暴力から身を守るためには、まずそうしたテクニックを知り、見抜く力を養うこと。そして、ソーシャルディスタンス同様に“屁のような理屈=何の値打ちもないつまらない主張”とは冷静に距離を取っていくことが大切になっていくでしょう。 <取材・構成/日刊SPA!編集部> 【桑畑幸博氏】 社会人ビジネススクールである「慶應丸の内シティキャンパス」シニアコンサルタント。’01年の立ち上げから参画し、マーケティング・思考力・コミュニケーションスキルの講義で人気を博す。これまで資生堂、カゴメ、ブリヂストンなど100社以上の一流企業、および多数の自治体で研修を手掛ける。ファシリテーション、ロジカル・シンキングのプロとして教育プログラムの作成・講義をはじめ、外部セミナーやシンポジウムなどでも活躍。新著に『屁理屈に負けない!――悪意ある言葉から身を守る方法』(扶桑社刊)
1
2
屁理屈に負けない! ――悪意ある言葉から身を守る方法

パワハラ、モラハラ、マウンティング、SNS、世論誘導など、巧妙な屁理屈を用いた“言葉の暴力”から身を守り、生産的な議論へと導くコミュニケーション術を提示する。「わら人形論法」「ご飯論法」「誤った二分法」「前件否定の虚偽」「媒概念不周延の虚偽」など16種類の屁理屈のテクニックと対処法を解説
おすすめ記事