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コロナで閉店を決意、銀座イタリア料理店の苦渋「雇用を守れなかったのが悔しい」

一度は忘れた夢を脱サラして叶えた店だった

 実は青池氏は32歳まで会社員をしていた。退職し飲食店経営を始めることになったきっかけは、母親の病気だったという。 「31歳の時に母の胆管癌が発覚し、余命半年を宣告されました。ちょうど余命宣告通り、半年後に54歳で母は他界してしまったのですが、その時“命というのは有限なんだな”と改めて実感したのです。そこで自分が本当にやりたかったことは何だったか、と人生の棚卸をする中で中学校の頃から飲食店をやってみたいと思っていたことを思い出しました」  退職後、すぐにイタリアに留学。「1年で帰国し店をオープンする」と決め、その決意通り1年半後には東銀座にイタリアンレストランをオープンした。その後3店舗まで拡大、これまで「ピンチらしいピンチはなかった」と話す通り、今年3月には無事10周年を迎えるほど順調であった。しかし新型コロナウイルスによる影響は2月下旬から徐々に東銀座エリアを浸食することとなる。 「3月は私がFacebookで呼びかけたこともあり、知人・友人・常連さんがたくさん『ラ・ボッテガイア』に足を運んでくれました。しかし、残り2店舗の売上はコロナ前の65%にまで落ち込むなど、とても厳しい状況でした。そして緊急事態宣言期間中の4月8日から5月26日までは休業をせざるを得なくなったのです」  緊急事態宣言の解除後は座席の間隔を空け感染防止策を徹底し営業再開。しかし、6月上旬になっても客足は完全には戻らず、ランチは通常時の半分、ディナーにいたっては客が0人の日もあったという。結果、6月の売上はコロナ前の約40%程度。 「お店としての損益分岐点はコロナ前の90%を超えてギリギリという感じです。たとえコロナ前の70%まで戻すことができたとしても赤字になってしまいます」  それでも青池氏はお店と従業員を守るために戦う決意を固め、できる限りのことを始めた。集客につなげようと、YouTubeでレシピ紹介の動画を配信、さらにテイクアウトと通販で「テリーヌ・ショコラ」と「林檎とクルミのゴルゴンゾーラチーズケーキ」の販売を開始した。しかし店舗の客数は回復せず、また通販で販売できる数にも限りがあった。
テリーヌ・ショコラ

テリーヌ・ショコラなどの通販やテイクアウトを始めたが…(提供写真)

「『テリーヌ・ショコラ』と『林檎とクルミのゴルゴンゾーラチーズケーキ』はどうしても1日に焼ける数に限りがあります。さらに生産数を増やすには設備を整えないといけない。すぐに大量生産することは難しい状況でした」

じわじわと戦闘意欲を削がれ、2店舗の閉店を決意

 営業再開直後は、「なんとかコロナ前の70%まで頑張って売上を戻そう!」と強い意志を持っていた青池氏だが、どんなに頑張っても報われない状況に、徐々に戦闘意欲を削がれていった。 「何かを頑張っても売上が5~6%くらいしか変わらない。そんな日が続くと諦めにも似た気持ちが襲ってきて……じわじわと『閉店したほうがいいのではないか』という気持ちに変わっていきました」  国が用意している救済措置についても、もちろん全て検討・申請を行った。 「持続化給付金も申請しました。しかし、1回200万円がもらえるだけでは、3店舗の家賃を1か月分払ったら終わりです。決してマイナス分の補填にはなってくれません。1店舗だけの経営であれば助かったかもしれないですが、3店舗を守ることにはつながりませんでした。 それから、追加の借り入れも検討しましたが、借り入れはいつか返さないといけないお金です。1千万円を借りることができたとしても運転資金としては数か月しか持ちません。コロナが終わるのはいつなのか、何か月分の運転資金を借りればいいのか……予想がつきませんでした。もう少し、もう少しと借り続ければコロナが終わった頃には借金まみれになっているかもしれません。そうすると従業員に十分な給与を払えないお店になってしまいます」  さらに、noteがこれだけ「バズった」青池氏ならば「クラウドファンディング」という方法もあるのではないかと感じてしまうが……。 「クラウドファンディングは、例えば返さなくても良い寄付のようなものならありかもしれません。しかし、基本的にはリターンとしてのお食事券などを発行するものですので、これは『利益の先食い』になってしまい結果的には負債となるでしょう。最悪の場合にはクラウドファンディングにお金を投じてくれた方にリターンを提供できないままお店を閉店ということも考えられるわけで、それだけは嫌だなと思いました」  持続化給付金・融資・クラウドファンディング……当然青池氏は全ての道を模索したが、これらは1回しか使えない方法。借金を返済できずに無責任な結果になることだけはしたくないと考え、最低限の申請に留まった。
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「経営者として雇用を守ることが出来なかったのが悔しい」
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