元・銀座の最短&最年少ママが、水商売のコロナ不況にできること
いま、再び猛威をふるう新型コロナウイルス。感染拡大の温床として「夜の街」が槍玉に挙げられて久しい。取引先との会食や接待が禁じられてしまったビジネスマンも少なくない状況だ。水商売の世界は苦境に立たされている。大人の社交街として親しまれてきた「銀座」も例外ではない。営業ができないなかで生活が一転、食い詰めてしまった高級クラブのホステスもいるという。
そもそも桃谷さんは大卒で就職せず、水商売の世界に飛び込んだ異色のホステス。なぜ大学を卒業後すぐに水商売の仕事に就こうと考えたのか?
「大学時代、大阪から京都の大学まで毎日往復3時間かけて通学していたのですが、その時間にずっと本を読んでいたんです。大学の書店の本を読みあさって、最後のほうには読む本がなくなってしまって、端にあった松本清張の『黒革の手帳』を見つけて。そういえば私が高校生の時にドラマでやっていたなと手に取ったのですが、読み進めるうちに“水商売ってなんて色々な世界の話が聞ける商売なんだろう!”とびっくりして。
私は、高校生の時に作家デビューして小説を書いていました。大学では新聞の学生ライターもしていたのですが、大学を卒業したあとの進路を考えてもきっとライターや小説家だけでは食べていけない……と悩んでいたタイミングだったので。
作家としてのネタ探しと見聞を深めるため、まずは大阪・北新地で働いてみようと決意しました」(桃谷さん、以下同)
母は当初反対したというが、最後には「娘のやりたいことなら」と応援してくれたという。とはいえ、全くツテがなかったため、ナイトワーク専門誌に掲載されている店に片っ端から電話をかけ、働ける場所を「クラブ」に絞って探した。
キャバクラをはじめ、水商売の店は数あれど、なぜクラブだったのだろうか?
「『黒革の手帳』の舞台がクラブだったので絶対クラブ、と思っていたのが大きいですね。それから、1人1人と向き合うことができて、人脈をつむいでいけるのはクラブだと思ったから。クラブはキャバクラと違って一見さんお断りですし、永久指名制です。簡単にジャンプアップできる世界ではないからこそ、その分丁寧に人脈を紡いでいくことができる世界なんですね」
「簡単にジャンプアップできる世界ではない」と覚悟を持って飛び込んだ世界だったが、最初はいじめにも遭ったという。
「最初に働いた北新地のクラブでは、マドラーで叩かれたり足を踏まれたり……肉体的ないじめが多かったですね。辛かったですが、黒服に相談したら“売上を稼いでいるのはヘルプのあなたではなく売上を上げる彼女達。正論ばかりを言っても通用しない。嫌なら店を辞めるか力をつけなさい”と言われて。そこから奮起して、ヘルプとしてついたお席で隅っこに座っていらっしゃる方をつないでつないで……。クラブのシステム上、同じお店にいる限りそのお客様の担当は永久指名のため、指名を変えてもらうことはできません。お店を移りつつ、つないだお客様に新しい店で指名をしていただきながら担当を増やしていきましたね」
そんななか、この地で最短&最年少ママとなった経歴を持ち、現在は実業家の桃谷優希さんが立ち上がった。
大卒で就職せずにホステスになったワケ
「簡単にジャンプアップできる世界ではない」からこそ…
インタビュー・食レポ・レビュー記事・イベントレポートなどジャンルを問わず活動するフリーランスライター。コンビニを愛しすぎるあまり、OLから某コンビニ本部員となり店長を務めた経験あり。X(旧Twitter):@KA_HO_MA
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