仕事

「全財産は7円」ギャンブラーへの夢崩れ、生活保護に転落した西成の住人

梅田で業者に声を掛けられ生活保護受給者に

 ボートピア前で宮崎さんを見送った1か月後、電話をすると宮崎さんは西成にも梅田にもおらず、枚方のアパートに暮らしていた。後日、枚方市駅からバスで1時間近く進んだ山奥にある部屋に行くと、宮崎さんは介護用ベッドに寝ころびながらダンボールの上に置いてあるテレビを眺めていた。いつもと同じように10日契約で飯場を出て「サウナ大東洋」に泊まっていた宮崎さん。金がなくなり西成に戻ろうとしていたとき、手配師に声をかけられ滋賀の飯場へと行くことになった。 「廃旅館が飯場になっていて、ここがうんざりするくらい低劣やった。個室と言っておきながらふすまで仕切っているだけで壁は土や。食堂は床も土やぞ。飯はヨボヨボのじじいが作ったくっさい弁当や。飯場に入ってから6日間休みで、『寮費と前借りで5万の借金ができている』といきなり言われたんや」
生活保護受給者

枚方の山奥で生活保護受給者になった

 宮崎さんは廃旅館で暴れ回り、大阪までの交通費だけぶん取って寮を蹴飛ばした。しかし、梅田駅に戻ったとき宮崎さんの財布にあったのは数十円。西成にある飯場までも電車賃だけで230円かかる。「いよいよだな」と途方に暮れていたところ、「生活保護を受けないか?」と業者に声をかけられ、あっさりと生活保護受給者になってしまった。 「1回目の生活保護費が下りるのは2週間後や。月曜になると、現金4000円と米が業者から配られるんや。アメリカ米やけどな。俺は病院にはかかってないけど、月に12万8000円。ここの家賃は3万8000円。手元には9万円も残るから、ギャンブルだってなんだってできるぞ。解体現場に行くよりかは1日テレビ見とるほうがいいやろ」  つい先日まで重いポスト(建地と呼ばれる金属の棒)を肩に抱えていたというのに、今は足元すらおぼつかない。生活保護というだけで支給される介護用のベッドから動かない置物のような生活へと突入してしまった。絵に描いたようなドロップアウトだった。4000円を配られるまであと2日もあるのに、宮崎さんの全財産は7円しかない。
全財産

全財産が7円しかなかった

 私は、「いつか返してくれればいいですから」と1000円札を手渡し、部屋を出た。

『ルポ西成』出版後の宮崎さん

 『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』を出版後、宮崎さんに電話をしてみるとこんな泣きごとを言っていた。 「毎日毎日、山奥の部屋で1日中テレビを見とるだけや。俺、もう気が狂いそうや。お前が書いた本を読むと、西成での生活を思い出すんや。あのときの俺はイキイキしとった。もう勘弁や。生活保護を辞退して石垣島でもう1回肉体労働やるつもりや」  それからも、「またサウナ大東洋に行きましょう」と電話でエールを送り続けていたが、結局再会することはなく、しばらくすると連絡が取れなくなってしまった。携帯電話も欲もすべて捨て、石垣島でスローライフを送っているといいのだが……。<取材・文・撮影/國友公司>
元週刊誌記者、現在フリーライター。日々街を徘徊しながら取材をしている。著書に『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』(彩図社)。Twitter:@onkunion
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ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活

国立の筑波大学を卒業したものの、就職することができなかった著者は、大阪西成区のあいりん地区に足を踏み入れた。ヤクザ、指名手配犯、博打場、生活保護、マイナスイメージで語られることが多い、あいりん地区。ここで2カ月半の期間、生活をしてみると、どんな景色が見えてくるのか? 西成の住人と共に働き、笑い、涙した、78日間の体験ルポ。
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