更新日:2012年12月18日 10:57
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維新政治塾開講式に光市事件の弁護士が!

今枝弁護士

今枝仁/1970年生まれ。弁護士。東京地裁の事務官、東京地検の検察官を退官後、弁護士に転身。光市母子殺害事件の広島高裁差し戻し審に弁護団の一員として参加したが、のちに弁護方針の違いから解任。著書『なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか』(扶桑社)

 次の選挙は遅くとも9月! いや、早れば今夏にも!!  永田町界隈に吹きすさぶ“解散風”が日に日に激しさを増すなか、その“台風の目”と見られている、橋下徹大阪市長率いる「大阪維新の会」主催の政治塾が3月24日開講した。  維新の会は次期衆院選マニフェストの叩き台「維新八策」をブチ上げたばかりだが、件の政治塾はこれを実践する、いわば“橋下チルドレン”の養成スクールにほかならない。  最短で「今夏」とも噂される解散総選挙を睨んで、早急に候補者選びを進めたいお家事情もあったと思われるが、そこは押しも押されもせぬ橋下人気! 定員400人のところ、最終応募者数は実に3326人。民主党の現職国会議員が恥も外聞もなく駆け込むほどの盛況ぶりだった。  維新の会はすでに「全国で300人擁立」を公言しており、この政治塾から、箱根の山を越えて中央政界に殴り込みをかける精鋭を、向こう3か月かけて選抜するというわけだ。  24日の開講式には、この最終応募者から晴れて論文選考を突破した約2000人が参加したが、思わぬ顔ぶれも。なんと、あの光市母子殺害事件の被告弁護団に籍を置きながら、その弁護方針の違いから“電撃解任”された今枝仁弁護士が、受講者の一人として姿を現したのだ。  今枝弁護士といえば、先頃出されたばかりの光市裁判を巡る最高裁の最終決定後、週刊SPA!2月28日号に「死刑判決直前に“元少年”が託した『最期の言葉』」を緊急寄稿。被告の元少年・Fの判決直前の生の声を綴っていたのだが、実は、この今枝弁護士と大阪維新の会代表・橋下大阪市長の2人、何を隠そう、かなり根深い“因縁”の関係にあるのだ。 「遺体を押し入れに入れたのは、ドラえもんがなんとかしてくると思ったから」「被害者を死後姦淫したのは『魔界転生』のイメージ」など、2007年に行われた光市事件の広島高裁差し戻し控訴審では、それまで被告の「元少年」Fが主張していかなった、荒唐無稽とも取れる「新供述」が次々と飛び出した。弁護団のなかに、日本の「死刑廃止運動のオピニオンリーダー」でもあった安田好弘弁護士がいたこともあり、弁護団がこのような新供述をFに「強要」し、死刑を回避させようとしている……と、バッシングの嵐が吹き荒れたのを覚えている人も多いだろう。 「ぜひね、全国の人ね、あの弁護団に対してもし許せないって思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求かけてもらいたいんですよ!」  当時、“茶髪のイケメン弁護士”として人気を集めていた橋下氏は、関西の人気番組『たかじんのそこまで言って委員会』(よみうりテレビ系)のなかで弁護団を痛烈批判。一般人には理解し難い荒唐無稽な“言い訳”を主張させながら、弁護団は説明責任を果たしているとは言い難い! と視聴者に向け懲戒請求をするよう煽った。  このときの反応は凄まじく、例年1400件程度の懲戒請求の数が、この件だけで、4倍を超えるおよそ6000件も殺到。これに対し「懲戒請求によって業務に支障が出た」という理由から、弁護団に参加する4人の弁護士が橋下氏を提訴。このうちの1人が今枝弁護士だったのだ。  この「懲戒請求扇動訴訟」は1.2審は弁護団側が一部勝訴したものの、2011年6月に最高裁で覆り、橋下氏側の「全面勝訴」で幕を下ろすことに。両者の間に大きな禍根を残したのは想像に難くないが……。  なぜ維新政治塾へ参加したのか、当の今枝弁護士を直撃した。 ――政治塾参加は本当か? 今枝「……はい。ただ、まだ“一次通過”のようなものなので、一から勉強する機会を与えてもらったという段階です」 ――橋下大阪市長とは訴訟関係にあったはずだが。 今枝「すでに判決の出ている争いで、アレはアレ、コレはコレの話ですよ。ただ、橋下氏と刑事弁護の意味について論争できたことは有意義だった。それよりも、政治家としての橋下氏の行動に対しては、4年前に自分の本にも記したが、当初から好感を持っていた。訴訟では敵味方の関係になってしまったが、今は『橋下の軍門に下った』などと言われようとも、光市事件で得た貴重な教訓をなんとか社会に活かすため、恥を忍んででも彼の推し進める改革に参加したい気持なんです」 ――橋下人気で「維新」の看板は、選挙で強力な“後ろ盾”になる。人気にあやかりたいという思いがあったのでは? 今枝「そのような非難を受ける覚悟もできたからこそ、応募する決断に至ったんです。ただ、募集以前から、大阪都構想に代表される橋下氏の主義主張には賛同できるものが多かったし、常識の壁を破る橋下氏の現状打開力には魅力を感じていた。私は弁護士としても、光市事件などを通して、少年犯罪の複雑さ、刑事裁判の難しさ、犯罪結果修復の困難さ……そういうものを痛感している。現代の日本では、都市型の犯罪や社会を驚愕させる凶悪犯罪の数が年々増えている。犯罪は都市構造や地域性など社会と無関係ではない。犯罪の防止・鎮圧、被害者支援、犯罪者更生は、地域ぐるみの課題になってくる。犯罪のないよい社会を築くために、国政にせよ地方自治にせよ、私が得た経験や教訓を社会に活かしていく上では、大阪維新の会で勉強することが必ずプラスになると考えたのです」 「維新政治塾」は、月に2回程度の講義で年間受講料12万円。橋下氏の盟友である堺屋太一元経済企画庁長官、中田宏前横浜市長、山田宏前杉並区長らが講師を務める。最終的に公認候補として国政に打って出る「300人」の枠に残ったとしても、選挙資金は全額自己負担。維新の看板は心強いが、会が掲げる「大阪都構想」や道州制の実現に向け、相当の覚悟が求められる。 <取材・文/山崎元>
なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか

「非公開」の少年記録などを元に事件のもうひとつの“真実”を綴る

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