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小山田圭吾が“いじめ釈明”で語った 、“ワルに見せたかったお坊ちゃん”の軽率

鬼畜エピソードでbadassに見せたかった?

 そう考えると、お洒落でセンスのいいポップアイコンだった小山田氏が、「Cornelius(コーネリアス)」としてソロ活動を始めるタイミングでイメチェンを必要としたのは、必然だったのかもしれません。  裕福なお坊ちゃんのままでは、ミュージシャンとして格好がつかない。英語で才能ある人を、badass(スゲーやつ)と呼ぶことがありますが、露悪的な発言をしてしまった小山田氏にも、そうした“ワル”への憧れみたいなものがあったのではないかと感じるのですね。
 テクノからエレクトロ、さらにはヘヴィメタルまで飲み込むサウンドクリエイターとしての鬼才ぶりにふさわしい言動として、鬼畜エピソードを選んでしまった可能性。つまり、“いい人”では尊敬されないという焦りが生んだ過ちだったとすれば、一応うなずける話ではあるのです。

だからといって擁護はできないが…

 もちろん、不愉快極まりない“いじめ告白”は真偽に関わらず受け入れられるものではありません。ですが、表現者としての強度を求めて、むごたらしい悪趣味にも耐性があると示したくなる気持ちは、そんなに珍しいものでもありません。きっと文化系のタフガイになりたかったのでしょう。  それが常識人たる心細さの裏返しだと思うと、実は他人事ではないと感じるのです。 【関連記事】⇒小山田圭吾の“いじめ自慢”と、90年代鬼畜ブーム。なぜ彼は間違ったのか <文/音楽批評・石黒隆之> 
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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