小山田圭吾の“いじめ自慢”と、90年代鬼畜ブーム。なぜ彼は間違ったのか
開幕を目前に控えた東京オリンピック、パラリンピックに、衝撃が走っています。
問題となっているのは、7月14日に開会式の楽曲を担当することが発表された、ミュージシャン・小山田圭吾(52)の言動。雑誌『ロッキング・オン・ジャパン』(1994年1月号)と『クイック・ジャパンvol.3』(1995年7月)のインタビューで、学生時代に障害を持つ同級生をいじめていたと語った過去が発掘され、“オリパラ担当なんてありえない”と炎上しているのです。
小山田氏が雑誌で語ったいじめの内容は、凄惨なものでした。小学校から高校にかけて、2人の同級生を無理やり全裸にしたり、さらには排泄物を食べさせもしたのだそう。まず『ロッキング・オン』でいじめに触れた小山田氏に、『クイック・ジャパン』編集部がインタビューを依頼、22ページにわたって武勇伝のように加害体験を語らせているのです。
しかも小山田氏が、自身は実行犯ではなくアイデアを提供する側だったと語っていたことからも、当時からサブカル界隈では“ムナクソ案件”として取り扱われていました。
一部の層ではよく知られていて、ネット上にも情報があった小山田氏のいじめ問題。今回オリパラにたずさわることで、図らずも一般層にまで露呈してしまったというわけです。
さて、こうした問題を抱えながら、国家イベントの重要なメンバーに抜擢された小山田氏。それもそのはず、彼ほど“クールジャパン”を軽やかに体現してきた人はいないのです。
小沢健二とのユニット「フリッパーズ・ギター」(1987-91)で渋谷系ムーブメントの中心に君臨し、今日にまで影響を及ぼすサブカルチャーの祖としての地位を確立しました。代表曲「恋とマシンガン」は、テレビ番組やCMなど様々な場面で耳にしたこともあるでしょう。90年代から2000年代の音楽、カルチャーシーンを語るうえで、欠かせない存在なのですね。
加えて、小山田氏の音楽は海外でも高い評価を受けています。ソロ転向後、「Cornelius」として名作を量産。アメリカのグラミー賞アーティスト、ベック(代表曲に「Loser」や「Devil’s Haircut」など)や、イギリスのバンド「Blur」や「Gorillaz」などの活動で知られるデーモン・アルバーンなどとコラボレーションをこなすなど、当たり前のようにワールドワイドな活動を展開してきました。
こうしてざっとまとめただけでも、国内向け、海外向けにも収まりのいい人選だとわかるのではないでしょうか。
ところが、そんな輝かしい功績が一気に崩れ去る。それほどの危機に直面しているのです。
7月16日、小山田氏は自身のツイッターで、長文の謝罪を発表。「深い後悔と責任を感じております」として、かつていじめた相手にも「受け入れてもらえるなら直接謝罪をしたい」と綴っています。今のところ、楽曲担当を辞退はしないようです。
いったいなぜ、こんなことになってしまったのでしょうか?
サブカル界隈ではよく知られていた、いじめ話
音楽面では、収まりのいい人選だったが…
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