ラブホテル女性オーナーが見た“ワケあり”の人間たち。刑務所から感謝の手紙も――2021年ベスト10
2021年(1月~11月)、日刊SPA!で反響の大きかった記事ベスト10を発表。どの枠にもはまらない「ノンジャンル」部門の第7位は、こちら!(初公開日 2021年7月17日 記事は取材時の状況)
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男と女の愛憎が渦巻く場所、ラブホテル。日本でのラブホテル産業は1960年代から本格化し、1980年代から始まるバブルに相乗して発展を遂げてきた。最盛期には1万を超えるホテル・モーテルが営業していたと言われている(※警視庁「風俗行政研究会」資料より)。
そこには表社会では生きられない人々が集い、大小さまざまな事件も多発していた。ラブホテルの実態を見守り続けてきた関西のホテルオーナーに、今まで遭遇した数々の修羅場を教えてもらった。
【前回記事】⇒コロナ禍でも予約が満室のラブホテル。利用者のほとんどが女性同士なワケ
自身のホテルで起きた事件を語ってくれたのは、女性経営者の中西葉子さん。中西さんは大阪市内の中心部でラブホテル『ローズリップス』を2店舗経営しながら、ビルなどの不動産業も営む、やり手の女性オーナーだ。
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建築業を営む父のもと、「お嬢様」として育ったという彼女。自身がラブホテル経営に乗り出したのは、バブル崩壊がきっかけだった。
「父の会社が倒産するまで、まさか自分がラブホテルをやるなんて思ってもいませんでした。父はホテルやビルを建てる傍ら、サイドビジネスとして自分でもホテル経営をしていたんです。そのうちゴルフ場の経営にも関わるようになって……そっちのほうに足を引っ張られてしまい、バブル崩壊とともに不渡りの連続で倒産。私はそれまで父のおかげで裕福な生活をさせてもらっていて、何も知らずに遊んでいたお嬢様だったので、いきなり路頭に迷わされたんです」
幸いなことに、母親名義のラブホテルが1軒だけ残っており、中西さんが引き継ぐこととなる。
経営不振に陥っていたホテルだったが、彼女にとっては生きていくための唯一の資産だった。
「私は経営の勉強なんてしたことが無かったし、父も外部に任せていたので何も知らなかったんです。当時、父は倒産の整理整頓で大変で、母も病気がち。姉は嫁いでいたので、私ひとりでやるしかなかった。何も勉強できず時間もない中、まずは客室のお掃除から始めました。なんせ閑古鳥が鳴いているホテルだから、お部屋がドロドロで汚くて。管理も何もできていなかったんですよ」
ホテルの支配人やスタッフに教えてもらいながら、経営に関するノウハウを実践で学んでいった中西さん。経理だけでなく、清掃にフロント業務、ルームサービスの食事作りまで全ての業務をこなす日々。48時間働いて8時間寝るという生活が続き、過労で何度も病院に運ばれた。夢中で業務をこなすうちに利用客も増え、売上も大きく出るように。
転機が訪れたのは29歳の時だ。
「インターチェンジ開発でホテルに立ち退きの話がきたんです。そこで上手いことやって(笑)大きなお金が入ってきたので、大阪で再出発させてもらいました。こっちに来てからの1号店が『ローズリップス鶴橋店』です。でも土地柄、お客さんにもスタッフにもワケありの人が多かったですよ」
バブル崩壊でお嬢様生活から一転、ラブホテル勤務に
生きていくための唯一の資産
福岡県出身。フリーライター。龍谷大学大学院修了。キャバ嬢・ホステスとして11年勤務。コスプレやポールダンスなど、サブカル・アングラ文化にも精通。X(旧Twitter):@0ElectricSheep0、Instagram:@0ElectricSheep0
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