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“無能のポンコツ”だった元自衛官が限界集落で見つけた「僕にもできること」

「絶対に日本には帰らない」強い決意で世界一周へ

海外「応援してくれる人も少なからずいましたが、ほとんどの人に反対されましたね。『辞めてどうするんだ』と聞かれた時は、『風来坊になります!』と答えていました(笑)。家族にも批判されましたが、僕は昔から聞き分けの無い子供だったので、反対したところでどうしようもないって思っていたのかも」  周りへの反骨精神もあり、「今後の人生のため、旅の果てに何かやりたい事を見つけるまで、絶対に日本には帰らない」と心に誓った。  その言葉通り、旅に出てから3年間は日本に戻らなかった。訪れた国は20ヵ国。各地の若いバックパッカーが集まるコミュニティに顔を出し、旅仲間のつながりを増やしていった。この頃は海外移住を考えていたそうだ。 「もともと日本社会が嫌になって飛び出したので、『このまま好きな国を見つけて移住しちゃおう』って考えていたんですよ。日本は恵まれた国だけど生きづらさがあって、高い能力を求められがちなストレス社会じゃないですか。海外を巡るうちに、その気になれば移住できるっていうのも分かってきていたので。しっかり貯金を作って地道にやっていけば、無謀じゃないなって」 海外 いったん帰国してからも定期的に海外へ飛び出し、トータルで訪れた国は65ヵ国。ワーキングホリデーを利用して渡航したニュージーランドとカナダでは、現地でさまざまな仕事に従事した。  考え方が変化したのは、放浪を始めて5年目だ。

海外生活が「日常」になり、日本の田舎へ移住

海外「さすがに5年も旅をしていたら、飽きてしまったのが本音です。最初は非日常を味わえても、続けていくうちに‟日常”になっちゃうんですよね。働いてお金を稼いで食べて……その繰り返し。結局どこにいても生活は変わらないと気付いたんです。どこで生きるかより、自分がどう生きるか、誰と生きるかのほうが大切だなって」  長く続いた海外生活。新しい刺激に出会う機会も少なくなり、「このままダラダラ続けるのも、もったいない」と感じるようになった。新たなチャレンジを考えた時に浮かんだのが、故郷である日本だった。 「国は関係無いなって思った時に、『日本の田舎に住んでみたい』という気持ちがわいてきました。自分は日本人だし、日本人としてのアイデンティティを持っている。海外生活で視野が広がったからこそ、何かおもしろいことができるかもしれないなと」    やってみないと、どうなるか分からない。そんな不確かな状態から、まずは住む場所を探し始めた。リサーチを開始してすぐ、坂本さんに吉報が舞い込んでくる。 「八女(※福岡県八女市)にある祖父母の家が、長く空き家になっていると親族から聞いたんです。ラッキー! と思って、すぐに移住しました。そこに住み始めたのが2015年です」
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いろんな人が集まってきた
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福岡県出身。フリーライター。龍谷大学大学院修了。キャバ嬢・ホステスとして11年勤務。コスプレやポールダンスなど、サブカル・アングラ文化にも精通。X(旧Twitter):@0ElectricSheep0、Instagram:@0ElectricSheep0

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