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『少女革命ウテナ』幾原監督が語る“大ショックだった”経験「コマーシャルのようだと言われ…」

 ‘93年『劇場版美少女戦士セーラームーンR』、’97年『少女革命ウテナ』など、強烈な熱量を込めた世界観を作り出すアニメ界の“鬼才” 監督・幾原邦彦。
アニメ 監督・幾原邦彦氏

アニメ 監督・幾原邦彦氏

 そんな幾原の作品群のなかでも、熱狂的ファンが多いのが、昨年から10周年プロジェクトが行われていオリジナルアニメ『輪るピングドラム』だ。映画製作の応援企画として行われたクラウドファウンディングでは、達成金額が1億円オーバーの快挙を成し遂げた。新装版の『RE:cycle of the PENGUINDRUM』として、今年の4月に劇場版「[前編]君の列車は生存戦略」、7月22日から「[後編]僕は君を愛してる」が公開されている。

物質的飢餓を乗り越え、「こころ」の拠り所を失った現代人

――双子の冠葉と晶馬が妹陽毬の命を救うための鍵となる謎の“ピングドラム”を求め、奔走する姿が描かれている『ピンドラ』ですが、監督は今回の劇場版公開にあたり、「今の若い人に見てもらいたい」と一貫してお話されています。また、「『生きづらさ』や『親を選べない』という作品のテーマは、今のほうがわかりやすくなっているんじゃないか」とも仰っていましたが、そこにはどのような世代間のギャップがあるのでしょうか?  人間はコミュニティがないと生きていけません。これまでは物質を拠り所としていたけれど、「こころ」に移り変わったことに我々は気付いていなかった。しかし、物質的な飢餓を乗り越え、物質文明を享受しきった今、やっと拠り所がなくなったことに気が付いたんです。  家庭問題自体は昔からあることで、70年代以降ずっと言われていたことだと思います。70年安保が若者が暴れた最後の事件じゃないでしょうか。見て見ぬふりをして、表面化しなかっただけで、80年代以降も若者のドグマはずっとあった。それが目に見える形で現れたのは、95年の大きなテロ事件。それ以降はまた消えていました。人間はコミュニティがないと生きられない生き物なのに、そこから目を背け続けるっていうのが、近代ずっと行われてきたことなんです。

自分の身近な物が大事という今の若者の強い感覚

 でも、現代はコミュニティの形が崩れている。学校や会社はもう守ってくれない。自分がよりどころにすべきコミュニティは家族しかない。自分の身近な物が大事という感覚が、今の若者は強いのではないだろうかと思います。  僕らの世代なんか、家族を顧みない感じが酷かったですよね(笑)。家から外へ、外へという意識だった。昔は毒親だったら家出してたと思います。でも、デジタルネイティブ世代は新しい居場所をSNSに求めているのではないでしょうか。やっぱり人間はコミュニティが必要で、会社だけじゃなくて、趣味や家族や恋人と、心の置き所をいろいろ変えて平静を保っているんです。デジタルの中に自分の居場所を置いていると聞くと薄っぺらいように感じますけど、若い世代ではアプリで出会ったりしてる。その前はオフ会だったじゃないですか。僕もアプリのある世代だったらなと思いますよ(笑)。

今、カンブリア的な黎明期であり過渡期にいる若者たち

――今を生きる若者とそれより前に生まれた大人たちでは大きな隔たりがあるわけですね。 アニメ 監督・幾原邦彦氏 今は黎明期であり過渡期なんです。たとえば、テレビや出版などの黎明期はすべてが手探りで何もわかっていませんでしたが、我々の世代には用意されていました。黎明期の人たちには、次なる進化を起こすカンブリア的な感性がみんなにあった。それが50年以上経って古いものになって新しいものに置き換わろうとしている。その時代に実は我々は立ち会ってない。先人が作ったものに乗っかってきました。  でも、今の若者はそんなカンブリア的な中にいて、見えている風景はまったく違うと思うんです。新しい価値を僕たちは勉強することはできても、理解することができません。たとえば、TikTokといった若者が使うSNSにしても、勉強して使うことはできても、次の展開を理解したり、予想したりすることはできないじゃないですか。デジタルネイティブと旧来のメディアを通じて見てる世代とでは、アクセスできるものにも、その速さにも圧倒的な差があります。渦中にいる人たちと僕らが同じものになるとは思えませんし、僕たちが良かったと思うことは滅びていくんです。
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自分たちの存在証明をどうやって見つけていくのか
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