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織田、徳川、武田…戦国武将が高校生に? バカバカしさもつきつめれば傑作に

リアリティは無視しているが「そこがいい」

 武将のクローン高校生をつくったのは戦国オタクの博士である。「そんなことムリだろ」と言うなかれ。時代設定は100年後なのだ。半面、その割には未来チックな感じが画面内にあまりない。家康はガソリンエンジンとしか思えないハーレーダビットソンに乗っている。もっとも、そんなことは気にしないほうがいい。おそらく最初からリアリティなんて毛ほども気にせずにつくられているのだ。  整合性も大胆なまでに無視されている。登場人物たちが生きる100年後の世界では明治期(1868年~1912年)以前の日本史教育は行なわれていないことになっているが、第2話で三浦翔平の伊達政宗はバッハ(1685年~1750年)のコスプレで現れた。独特の髪型も服装もほぼ完璧に再現。周囲もすぐにバッハだと分かった。  となると、日本史は省略しながら、音楽史はガッチリ教えていることになる。妙な話だが、そんなことも考えないほうがいい。キリがなくなる。何も考えずに見るべきドラマなのである。  なぜ、政宗がバッハになったか。それはクラスメートの上杉謙信(犬飼貴丈)がほかの生徒と音楽対決をしていたから。校内でテッペンの座を争うための「旗印戦」の一環である。「旗印戦」はケンカでの対決が中心なのだが、お茶の産地当て対決や将棋対決もある。何でもアリなのだ。  謙信は音楽対決で琵琶の名演奏を見せた。ホンモノの謙信も琵琶の名手だったのである。それはドラマ内でも説明された。いろいろと確信犯的にテキトーなドラマなのだが、歴史考証には力が入っている。  不良高校生姿の謙信がまるで布袋寅泰のようなパフォーマンスを見せながら琵琶をジャンジャン弾く姿には思わず笑ってしまった。政宗のバッハ姿にも。

原作コミックよりも笑いを重視

 このドラマは言葉を駆使したギャグが少ない。一方で考えなくても笑えるシーンがあちこちに散りばめられている。実のところ高度な構成と演出にほかならない。  原作漫画の『新・信長公記〜ノブナガくんと私〜』はヤンキー作品色が濃厚だが、ドラマのほうはコメディ作品色が強い。登場人物のキャラからしてそう。  1980年代の不良青年を彷彿させる満島の信玄は原作の通りだが、小沢の家康は漫画『ボボボーボ・ボーボボ』の主人公を想起させる。その風貌を見ているだけでもニヤッとしてしまう。  24年間におよぶ俳優生活の大半はシリアスな役柄を演じてきた小沢が、この仕事を引き受けたのはストーリーと役柄が気に入ったからに違いない。三浦、濱田、満島、駿河も同じはず。演じる側にとっても近来稀に見るバカバカしさが新鮮で魅力なのだろう。  ストーリーの話に戻りたい。「旗印戦」では相手に勝つとポイントが貯まる。そのポイントを一番多く獲得した生徒が高校内の総長と戦う権利を得る。総長に勝ったら、晴れてテッペンの座に就く。総長か誰なのかは現段階ではナゾ。この辺はヤンキー漫画風味だ。  第2話終盤ではケンカ最強と謳われた信玄が、家康との「旗印戦」で「3分以内に倒す」と宣言され、その通りになってしまった。家康はバケモノのように強い。家康を倒せる可能性があるのは信長くらいか。いつも干し柿を食べている変人だが、心優しく、桜吹雪で敵を瞬時に倒す必殺ワザを持つ。こちらも恐ろしく強い。これから最終回まで2人の対決が軸になるのだろう。  ほかにクラスで唯一の女子生徒・日下部みやび役で山田杏奈(21)、豊臣秀吉役で西畑大吾(25)、今川義元役で松大航也(22)らが出演。  高校の理事長である別府ノ守与太郎役は名優・柄本明(73)が務めている。けれどAIなので水晶玉に顔がぼんやりと浮かぶだけ。小沢、三浦、濱田、満島、駿河ら30代と40代の15歳役を含め、なんとも贅沢なキャスティングだ。<文/高堀冬彦>
放送コラムニスト/ジャーナリスト 1964年生まれ。スポーツニッポン新聞の文化部専門委員(放送記者クラブ)、「サンデー毎日」編集次長などを経て2019年に独立。放送批評誌「GALAC」前編集委員
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