ライフ

『水ダウ』への抗議文で考える“吃音者が感じる差別”とは。女性当事者に聞く

もし吃音が治ってもつきまとう影

――吃ることが自分の個性の一つのようになっていたんですね。さらにその先にも変化があるんですか? ミノリハ:その後、とある当事者会で吃音の方が「解放された後はどもってもどもらなくても、どっちでもいい」と話してい ました。それを聞いて、20年間の悩みがフワッと取れた気がしたんです。これは吃音者宣言で有名な伊藤伸二さんが「ゼロの地点に立つ」と表現されているんですが、吃音の症状はあっても、それに左右されないニュートラルな状態のことです。 ――仏教では、どちらにも偏らない「中道」という考え方を大事にしますが、それに似ていますね。心の問題はそこで解決になったんですね。 ミノリハ:一旦はそうですね。ですが、1週間くらい経ったら、とても空虚で無気力になったんです。吃音の悩みが小さくなって初めて、これまでなんでも吃音のせいにしていたことに気づいて、他の問題が浮き彫りになってきました。知らないうちに、吃音を頼って生きていたのかもしれません。 ――吃音を優先する選択を繰り返す生活で、症状さえも自分の一部になりつつあったんですね。個人のキャラクターを売りにする職業では、武器として使えることもあり、もしかするとインタレスティングたけしも、そう感じていたのかもしれませんね。 ミノリハ:この時に番組を見たら、いまと同じように何も感じないくらいにはなっていたかなと思います。

周囲が心がけること

――人によっても時期によっても捉え方が違うということは、「吃音症の人」と括らずに、個人としてきちんと理解してコミュニケーションを取るのが重要だと感じます。その上で周囲の私たちにできることをしりたいです。あくまでいち吃音当事者としての意見で構いません。ミノリハさんが周囲に求めることは何ですか? ミノリハ:以前、初対面同士でペアになって会話をして、その後に相手のことを他己紹介するという機会があったんですよ。私とペアになった女性は、私のことをみんなに紹介する時に吃音にだけ触れなかったんです。配慮の上でだとは思うんですが、それが悲しかったんです。 ――逆に「触れないで欲しい」と感じる当事者もいるのが難しい点ですね。私自身、吃音症の人が言葉に詰まった場面で、配慮のつもりで文脈から予想される言葉を、こちらから言ってアシストしそうになった経験があるんですが、こうした行動についてはどう感じますか? ミノリハ:私は嬉しいです。でも、これも人によりますね。パスを出されるのを嫌だと思われる方は、すれ違いを多く経験しているんだと思います。自分が言いたい言葉と、違うパスを出されてしまって意図しない方向に会話が進んでしまった過去があるんだろうと。吃音の人には、世界の流れが早く感じている人も結構いて、違う方向に進んでしまった会話を修正することもできないことも多いです。 =======  SNSやネットの情報に触れていると、どうしても主語が大きくなり「当事者はみんな反対のはずだ」などと考えそうになる。しかし、私たちの普段の生活で大事なのは、そうした大きな情報よりも、丁寧なコミュニケーションなのかもしれない。<取材・文/Mr.tsubaking>
Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。
1
2
3
おすすめ記事
ハッシュタグ