スポーツ

永田裕志、54歳でも消えない“IWGP”への執念「生き様の濃さでは誰にも負けたくない」

ケガでリングを降りた同期たちに向けて

永田裕志

(C)新日本プロレス

 永田の同期である大谷晋二郎は、今年4月のZERO-1両国国技館大会で頚髄損傷の大ケガを負い、首から下が満足に動かせない状態が続いている。同じく同期の中西学もファンから絶大な支持を集めていたものの、2年前に自らリングを降りた。闘魂三銃士のいなくなった新日本マットを支えた“第3世代”も、ここに来て大きな曲がり角を迎えているのは確かだろう。 「中西さんの場合も脊髄の大きなケガがあり、どうしても元の完全な状態には身体が戻せなかった。本人としても志半ばだったと思うけど、それでも自ら覚悟を持ってスパっと足を洗ったのはリスペクトしています。もちろん僕だって、いつ大ケガを負っても不思議じゃない。だからこそコンディションを万全にしつつ、いつも集中した状態で試合に臨んでいますけどね。もっともコンディション調整なんてレスラーとして最低限のエチケットだから、今さらドヤ顔で言うことではないんですが(笑)」

「絶対にIWGP王者……」と自己暗示

 若いプロレスラーには「チャンピオンになりたい」「有名になりたい」「カネを稼ぎたい」「女にモテたい」「いい車に乗りたい」と明確な目標が存在する。54歳の永田にはこうしたモチベーションなどなくなったが、ストイックなトレーニングを重ねる日常は変わらない。 「僕、辰吉丈一郎さんが大好きなんですよ。現実的に考えたら、チャンピオンはおろか試合復帰することさえ難しいかもしれない。でも毎日いろんなことを犠牲にしながら、今もトレーニングし続けているわけじゃないですか。素晴らしい人生だなと思います。僕も無理かもしれないけど『絶対にIWGP王者……』と呪文のように唱えつつ、執念を燃やしていきたいんです」  新日本の暗黒期にチャンピオン&エースだった永田は、団体から求心力が失われる中で孤軍奮闘していた。アントニオ猪木の指令によって不慣れな格闘技戦も行った際は、ミルコ・クロコップやエメリヤーエンコ・ヒョードルに惨敗。「プロレス没落のA級戦犯」などとバッシングされることもあった。 「もともと僕はレスラーとして華やかさからは縁遠いところにいた。武藤敬司さんみたいにはなれない人間なんです。泥にまみれたプロレス人生なんだから、無様な姿も含めて全部をマットで出すのがポリシー。不格好かもしれないけど、それが永田裕志という人間なのでね。生き様の濃さでは誰にも負けたくないんです」<取材・文/小野田 衛 撮影/渡辺秀之> 永田裕志ながた・ゆうじ◎1968年、千葉県東金市出身。日本体育大学レスリング部時代に全日本学生選手権、全日本大学グレコローマン選手権、全日本選手権で優勝を果たす。92年、新日本プロレスに入門。01年にG1 CLIMAX優勝、02年には団体最高権威であるIWGPヘビー級王座に輝き、当時の歴代最多防衛記録V10を達成する。その後も新日本マットの最前線で常に存在感を示しながら、近年は他団体でも持ち前の突貫ファイトを展開。身長183cm、体重108kg。
出版社勤務を経て、フリーのライター/編集者に。エンタメ誌、週刊誌、女性誌、各種Web媒体などで執筆をおこなう。芸能を中心に、貧困や社会問題などの取材も得意としている。著書に『韓流エンタメ日本侵攻戦略』(扶桑社新書)、『アイドルに捧げた青春 アップアップガールズ(仮)の真実』(竹書房)。
1
2
3
永田裕志デビュー30周年記念興行
Blue Justice Ⅺ ~青義伝承~
9月11日(日)東金アリーナ
14:30開場/16:00開始

チケット情報はこちらから!
おすすめ記事
ハッシュタグ