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村上宗隆が“史上最年少”三冠王。プロ野球「三冠王」を惜しくも逃した男5選

“怪童”中西太は4度のチャンスを生かせず……

ボール

※写真はイメージです。以下同(Photo by Adobe Stock)

 二人目は、174センチ94キロの巨体から“怪童”と名付けられた西鉄ライオンズの主砲・中西太だ。中西は、なんと4度も“三冠王”のチャンスを逃している。  高卒新人だった’52年からレギュラーに抜擢されて新人王になった中西は、’53年に打率.314、36本塁打、86打点をマークし、本塁打と打点の二冠王になるものの、打率が首位打者とわずか.4厘差で2位となり、三冠王を逃すことに。  リベンジに燃えた中西は’55年に打率と本塁打の二冠に輝くものの、今度は打点が1打点差で及ばず。’56年も好調を維持して本塁打と打点でトップに立つが、打率で同チームの豊田泰光にわずか5毛差で負けてしまい、3度目の正直も果たせず。さらに’58年は首位打者と本塁打王に輝くものの、打点が1打点足りず、悲願の三冠王達成を逃してしまったのだ。4度とも三冠王まであとわずかだったが、“怪童”も運には勝てなかった。  引退後は数多くの球団で打撃コーチも務めて、ヤクルトの若松勉、宮本慎也、岩村明憲、青木宣親、阪神の掛布雅之、真弓明信らを一流打者に育て上げるなど、選手に合わせた打撃指導でも名を上げた。

日本の宝・イチローも三冠王に手が届かず!

 日米通算4367本安打、9度の首位打者(NPBでは7度)を獲得するなど、アベレージヒッターの印象が強い、日本を代表する天才打者・イチロー(オリックスブルーウェーブ、シアトル・マリナーズほか)も“三冠王”を手中に収めかけたことがあった。  ’94年に打率.385、210安打という驚異的な成績をマークし、球界に旋風を巻き起こしたイチロー。翌年の’95年に三冠王のチャンスが訪れていた。天才的なバットコントロールでヒットを量産して、打率.342で首位打者に。また、勝負強さも増して打点王も獲得。さらに、この年は長打を打てる選手がいずれも不調で本塁打王争いが激化。「狙えば本塁打は打てる」と常々豪語していたイチローは鋭い打球で25本塁打をマークするものの、小久保裕紀(ダイエー)が28本塁打でトップに立ち、3本差で三冠王を逃してしまった。  それでも同年は49盗塁で盗塁王になったほか、シーズンMVPにも輝き、チームをリーグ優勝に導いた。
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あの“ミスター”も逃していた
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テレビドラマとお笑い、野球をこよなく愛するアラサーライター。

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