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ドラマ『罠の戦争』快演が話題の本田博太郎(71)、知られざる46年の役者人生とは

完璧主義の演出家・蜷川幸雄に見出される

 下積みが報われたのは1979年で28歳のとき。東京・丸の内の帝劇での公演『近松心中物語』の主演に起用された。本来の主演俳優だった故・平幹二朗氏が病気で倒れたため、誰かが代わりを務めなくてはならならず、演出の故・蜷川幸雄氏が指名したのが無名の本田だった。説明するまでもなく、蜷川氏は演劇界の巨匠である。  この舞台に本田は群衆の1人として出演する予定だった。本田よりキャリアが長く、知名度のある俳優の共演者もいたが、蜷川氏は本田を選んだ。当時の帝劇での最年少座長だった。  それから半年後、蜷川氏は『ロミオとジュリエット』を同じ帝劇で上演した。主役のロミオにはやはり本田を起用した。完璧主義で知られる蜷川氏が、若き本田の演技を認めたのである。ただし、これを本田が誇ったことはない。  同時期、映画界の巨匠も本田の才能を見抜いた。故・三船敏郎氏ら映画界のスターが勢ぞろいした『日本のいちばん長い日』(1975年)の監督で知られる故・岡本喜八氏だ。『英霊たちの応援歌 最後の早慶戦』(1978年)で、学徒出陣し戦死した法政大の名1塁手・本田耕一役で起用した。

伝説となった北京原人役

 真面目一徹の本田が気に入った岡本氏は数々のアドバイスを与えた。 「移動のときは車を使わず、電車に乗り、人間観察しなさい。いつでも気がついたことは書き留められるようにメモ帳を持ち歩きなさい」  以来、本田はその教えを守り続けている。役の幅が広いのは人間観察の成果でもあるだろう。岡本氏はずっと本田を起用し続けた。  TBS『3年B組金八先生』(1979年)の大ヒットによって巻き起こった空前の学園ドラマブーム下で作られたフジテレビ『ただいま放課後』(1980年)では主演した。ドンガメ先生こと教師の森雄太役だった。木訥で生徒思いの教師で、50代から60代には、この役の印象が強い。  一方で映画『北京原人 Who are you?』(1997年)では北京原人に扮した。映画は記録的な大コケで終わったが、本田の演技は伝説的だ。原人が口にする言葉は「ウパー!」のみだが、本田はその感情を巧みに表現したからである。  口さがない芸能記者らの間では「よく原人役など引き受けたものだ」という声もあった中、本人はこう話していた。 「ジャック・ニコルソンを見てください。狼男だって何だって、彼はやりますよね(注・1994年『ウルフ』)。役者というのは、いろんな顔を持って、腹の奥底では作品の上がりをほくそ笑みながら演じている部分があるんですよ」(『キネマ旬報』1998年1月15日号)
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ベテラン風を吹かせたらお終い
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放送コラムニスト/ジャーナリスト 1964年生まれ。スポーツニッポン新聞の文化部専門委員(放送記者クラブ)、「サンデー毎日」編集次長などを経て2019年に独立。放送批評誌「GALAC」前編集委員

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