ライフ

東大でトップクラスの人気授業「要求することはひとつだけです」教授が語った内容とは

科学史の授業で宣言された「2種類の試験」

 具体的には、「授業に出た学生用」と「授業に出なかった学生用」の2種類で、前者は普通に毎回、授業に参加した人のための通常の期末試験を意味する。  独特なのは後者だ。曰く、「授業には出られないけれど、何らかの理由で単位は必要だという学生」に向けて、試験さえ受ければそれで単位を取得できるかたちを採るということだった。学生にしてみれば、実に理解のある教官ということになる。試験問題もその場ですぐに発表されて、教官が指定する3冊の本の中から1冊を選び、それを読んだうえで試験当日、書評を書くというものだった。  その3冊のうち2冊が教官の自著で、もう1冊は別の著者による生物学の本だった。この残りの1冊は、小松先生の研究者人生における原点となった1冊だったことをのちに知る。これは推測にすぎないが、学生からの書評を通じて、何か思わぬ角度からの指摘や批評、批判が得られることを期待していたのかもしれない。  何年かのち、「自らの論著なら多少のごまかしがきくのに比べ、書評を書くと嫌でもその人の実力が出る。書き方にその人の知性や人格が滲み出る」といった意味のことを、先生が話すのを聞いたことがあった。そう考えると、ただ、親切なだけでなく、ある意味で恐ろしい試験でもあったのかもしれない

本気で授業に臨む学生だけを残す仕組み

授業 ちなみに、この「授業に来なかった学生のための試験」というのは、実はその受験者達、つまり授業に来ない学生達のためだけの仕組みでもない。むしろ、単位だけが目的の学生をあらかじめ授業から排除することによって、本気で授業に臨む学生だけの時空間を教室に生み出す仕組みといったほうが正確かもしれなかった。  実際、「授業に出ると決めた学生は、できるかぎりすべての回に出席してください」と明確に要求されたし、逆に単位だけ欲している学生達には、「それではまた、試験の日に」と、これもはっきり告げられていた。  要するに、「教室には真剣な人間しか来てほしくない」というメッセージであり、0か100か、どちらか一つの関わり方しか許されない授業だったのだ。この授業に対する教官の本気が明確に伝わったし、同時にこの試験方法ひとつ聞いただけでも、いかに考え抜かれたうえで綿密に設計された授業であるかを予感することができた。  結局、この授業は最後までずっと大教室が満員だった。当時のキャンパス全体を見渡しても、そのような授業は決して多くはなかったと思う。文字どおり、右も左もわからない状態で田舎から上京してきた僕は、この授業、そして小松先生との出会いを通じて、人生を大きく変えられることになるのだった。
次のページ
「一見簡単なようで実は存外に難しいこと」
1
2
3
4
フットリンガル代表。1985年4月12日、鳥取県生まれ。東京大学文学部卒業。田舎から東大に進学後、人生に迷う。大学の恩師の助言で自分に素直に生きた結果、メキシコでタコス屋見習い、鳥取で学び場づくり、ブラジルの名門サッカークラブ広報、ネイマール選手の通訳などを経験。Twitter:@grantottorino Instagram:@takafotos

記事一覧へ
東大8年生 自分時間の歩き方

自分の目で見て、自分の心で感じて、自分の頭で考える

おすすめ記事
ハッシュタグ