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『テレビ千鳥』大悟の“下品ないじり”に物議。幼稚すぎる発言が一度は許されてしまった「日本のお笑いの問題点」

「誰よりも素早く爆笑をとること」が重要視されすぎ?

 なぜ日本のお笑いは刹那的な言葉の応酬が主流になってしまったのでしょうか。  その理由のひとつに、価値観を真剣に問わなくなってしまった社会の空気を挙げたいと思います。核となる思想や精神がないので、それをひっくり返す表現としてのお笑いが成立しにくくなっている状況です。誰よりも素早く爆笑をとることが唯一の存在価値になってしまったのですね。  そのため、いじめやハラスメントに近いだべり芸に向かうか、シュールさやリズムネタで奇をてらうか、それとも賞レースで漫才やコントの技術を採点競技にするしかなくなってしまう。  その中でも優劣はあるのでしょう。しかし、それはどこまで行っても内輪ウケ。“芸人”とか“バラエティ”という狭いコードの中でしか通用しない技芸なのです。

「日本のお笑いのレベルが低い」わけではないけど

 こう言うと、“日本のお笑いのレベルが低いのか”と思われそうですが、そうではありません。第一線の芸人は、皆頭の回転が早く、矢継ぎ早にトークのバトンを渡していく。その瞬発力にはしばしば圧倒されます。  けれども、そうしたテクニックや反射神経が際立つほどにお笑いが形骸化しているのではないか。真に笑うべき対象も定められないまま、言葉が大量に消費されていく徒労感。魂がごっそりと抜け落ちているのですね。  では、本来お笑いにあるべき考え方の核とはどんなものなのでしょうか。
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お笑いが本来果たすべき役割とは?
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音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

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