更新日:2023年08月30日 15:24
エンタメ

伝説のレディース暴走族雑誌「ティーンズロード」初代編集長が語る、「“引退”があったから警察も許してくれた」

100人規模の撮影でも、警察は“黙認”

三河遠州女番連合(女連)の一枚。その迫力から、誌面をたびたび彩ることになる

――誌面を作る上で、警察との衝突はなかったのでしょうか? 比嘉 当然、大人数で集まれば通報はされる。最初の頃は心臓バクバクで焦ったけど、次第に交渉も慣れてくる。新潟で撮影したときは、大勢のパトカーに囲まれて、複数台のサーチライトを当てられたこともあった。さながら映画の逃走犯。彼女たちのなかに逮捕状が出ている少女がいたようで、一斉に散り散りに。残された私のところに警察官がきて、「責任者は誰?」と。こういう警察との話し合いは多々あって、随分鍛えられたね。私も「偶然鉢合わせただけです」や「週刊プレイボーイです」なんて誤魔化していたけど、「いや、君たちはティーンズロードでしょ?」とバレていたり(笑)。でも、「三河遠州女番連合(女連)」の撮影のときは、会長ののぶこさんが「警察に話は通してある」と。駅前に100人近い暴走族が集合し、撮影場所の埠頭へ。大型バスを含む多数の警察車両が待ち構えていたんだけど、特になにも言ってこなかった。警察側もまだ寛大な時代だったように思う。「静かに撮影するならば、あと10分な」と。今だったら暴走行為のほう助で逮捕だよね(苦笑)。 ――読者からの“取り上げてほしい”というお手紙も多かったそうですね。 比嘉 自分のなかで、“応募のあった全国の暴走族すべてを取り上げよう”という気持ちが強かった。だから東京近郊のたった3人のレディースも撮影に行ったことも覚えていて。規模云々ではないんですよ、意外に小さい族でも面白い話があったりする。その3人の小さな暴走族は数か月後に編集部に遊びにきたんだけど、黒髪、清楚な服装と随分変わっていた。聞けば、誌面に掲載されたことで、近隣の巨大暴走族に目をつけられたとか。公園でヤキを入れられ、全員裸で走らされ、潰されたと。でも、目は妙にキラキラしていた。あとで、別の総長に話を聞いたら、「巨大暴走族に認められたのが嬉しかったのでは?」と、なるほどな、とは思ったね。

“引退”があったから、許される時代だった

>――暴走行為に喧嘩、今だったら許されないでしょうね。 比嘉 本当にそう思う、悪いことは悪いんだから。ただ、当時はまだ暴走族にそこまで“凶悪”なイメージがなかったし、警察とも話し合う余地があった。80~90年代は暴走族同士の喧嘩が中心で、一般人に危害を加えることは実はほとんどなかった。暴走行為に巻き込まれるなどはあったかもしれないけどね。自分が取材で訪れた過疎の村では、地元の住民たちは「暴走族? 元気でよろしい」ぐらいな感じだったこともある。村の活性化に1つ繋がっている部分もあったり。あと、大人や警察たちが寛大だった理由に“引退”が大きかったように思う。暴走族は大体18歳前後に卒業をする。これは日本の不良の面白さ。アメリカのヘルス・エンジェルスは一生抜け出せない。もちろん卒業しない・させない凶悪な暴走族はいるけれど、大半が引退制で、卒業する。ある意味で部活に近いもの。だから警察が無理くり追い詰めなくても、彼女らも18歳になったら「かっこ悪いよね~」と辞める。あとは地元愛が強いから、みんな地元の活性化のためにしっかり働いてくれることが多い。
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暴走族1万人なのに、発行部数は18万部
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