録音された“シンナーを止めたい”少女たちの悲痛な声
――編集部として、24時間のお悩み相談ダイヤルも設置していたそうですね。
比嘉 出社時に録音された音声を聞くのが日課で。本当に10代少女たちの悲痛な叫びばかりで、なかでもシンナーの悩みが多かった。「彼氏のシンナーをやめさせたい」「シンナーを吸っているのに妊娠した」など。当時流行っていたとはいえ、シンナーは麻薬でもコカインレベルの中毒性があり、吸ったあとに事故死する人も多かった。だから誌面で毎号“STOP THEシンナー”を連載していて。ほかの活版ページもしっかり読者の悩みを吸い上げるものを中心に。ティーンズロードは、悩める10代少女たちの“居場所”にしたかった。
――そんな少女たちの居場所が崩壊したのが、95年。書籍に書かれていましたが、“凶悪化”も廃刊を決めた理由のひとつ、と。
比嘉氏 時代が暴走族からチーマーに変化し、当時版元のミリオン出版ではギャル雑誌『egg』が大ブレイク。完全に時代の潮流が変わり、売り上げが減ったのは大きな理由のひとつ。ただ、ティーンズロードも続けようと思っていたなかで、今までなかった不良たちから“暴力”を振るわれることが増えてきた。あくまでも私の憶測だけど、90年代中盤に入ると、暴走行為に対して警察側も過敏になり、取り締まりも強まった。暴走できないストレスだったり、ほかのチャイニーズマフィア系の“もっと凶悪な集団”も現れはじめた頃で。ある暴走族の総長を取材したら、「街の素人をなんとく刺した」「後悔は一切していない」という発言は今でも忘れられない。これ以降、少年たちの死傷事件が一気に増えたように思う。やっぱりスタッフの安全が最優先。当時私は編集長を離れ取締役の立場で、苦渋の決断だったね。
――廃刊から28年経ち、『特攻服を着た少女と1825日』では少女たちの“その後”も書かれていました。
比嘉 もちろん全員追いきれてはいません。すえこちゃんはNPO法人『セカンドチャンス!』で非行に走った少年少女の支援、現在は高校教師になっている。かおりちゃんはパソコン教室の先生、じゅんこちゃんは悩める少女たちを救うNPO法人をやっている。ほかの少女たちもお母さんになっていたり、地元で働いていたり。もちろん、中には薬物中毒者など、悪いままの人の噂も聞く。ただ、9割ぐらいの元少女たちは「ティーンズロードに出てよかった」と言ってくれている。やってよかったよ、本当に。
――今回は書籍がノンフィクション大賞を獲りましたが、今後の目標を。
比嘉 今、担当者が横にいるので言いづらいけれど……。受賞は申し訳ない、という気持ちでいっぱい。だって、自分は編集者として、大勢のノンフィクションライターを知ってる。彼らの苦労を知っている。自分は作った雑誌ベースで大賞を取ったんだから、やっぱり嬉しいけれど、申し訳ないよね。でも、こうやって周囲の人が喜んでくれるのはやっぱり嬉しい。「次は何を書くんですか?」と聞かれるけれど、俺は編集者で書き手じゃない。ただ、求められていることもあり、もう一つ書くのは義務はあるかな、とは思う。周囲は「フィリピンパブ中毒だから、その実録を」と言われるけど、それはちょっとね(苦笑)。
<取材・文/加藤カジカ 撮影/長谷英史>