無茶から始まった賢治作品の漫画化
1983年に発表された『銀河鉄道の夜』は大ヒットしてアニメ映画化もされた
――「アタゴオルシリーズ」でオリジナル作品を描き続けていたますむら先生が、初めて賢治作品の漫画化に挑戦したのは、1983年の『銀河鉄道の夜』です。敬愛する作家の代表作を漫画化、しかも擬人化した猫で描こうとしたのはなぜですか?
ますむら:実は、賢治作品を猫で描くというのは、もともと当時の担当編集者のアイデアで、僕は「猫でやれ」と言われたから描いただけ。でも、人間ではなく猫で描いたおかげで、かえって普遍性が生まれてのちにアニメ化されたし(1985年に劇場用アニメとして公開)、絵柄が古びずに長く読まれる作品になったと思う。そこは僕の計算じゃなくて、当時の担当の慧眼だね。
――『銀河鉄道の夜』は賢治作品の中でも詩的で難解な作品。ビジュアル化するのは難しくなかったですか?
ますむら:『銀河鉄道の夜』をわずか100ページ足らずで漫画化するというのは、我ながら怖いもの知らずというか、無茶なことをしたもんですよ。この作品は、地学や気象学、天文学などの知見がいっぱい詰まっているけど、今のように細かい注釈もないし、そもそも研究も進んでいなかった。
ちょっと詳しい人だったら、これは手に負えないからやめようと思うだろうけど、僕はわからないことだらけのまま手探りで描いていった。それでようやく、自分がとてつもないジャングルに足を踏み入れてしまったことを理解しましたね。
1985年には、ブルカニロ博士が出てくる「初期形」(注:『銀河鉄道の夜』は賢治が何回も書き直したため、遺稿の編集によっていくつかのバージョンが存在する)を200ページで描いて、そのときはやりきったつもりだったけど、描き終えるとまだまだわからないことが出てくる。研究家にもわからないことを自分でも調べ始めたりして、すっかり賢治の研究から抜け出せなくなっていきました。
1983年版に描かれた「三角標」
――それからおよそ30年の時を経て、2016年から3度目の漫画化に着手した『銀河鉄道の夜・四次稿編』(風呂猫)が現在も刊行中です。ますむら先生に描き直しを決意させた理由は?
ますむら:自分が60歳になったとき、オリジナル作品はもうしんどいから描くのをやめようと思ったんですね。そんなとき「しんぶん赤旗」の編集者に新作の打診をされて、「賢治だったら描ける」と言っちゃったんだな。やっぱり、どうしても心残りがあったんだろうね。
この30年、特にインターネットが普及してからは、在野で研究している人たちの情報が読めるようになって、わかってきたこともたくさんある。それで、もう一度『銀河鉄道の夜』に関する資料を全部集めてきて、納得できるだけの枚数を描こうと思ったら600ページの大作になってしまいました。
――全面的に描き直しをされているそうですが、研究成果を反映して解釈が変わった場面を具体的に教えてください。
ますむら:その一つが「三角標」というやつです。1983年版では正直、三角標がどういうものかわかっていなくて、棒に三角の板がくっついたものとして想像で描いていた。当時、賢治研究の第一人者だった天沢退二郎さんに監修してもらったんだけど、彼もわかっていなかったんだよね。
1983年版が出たあとに指摘を受けて調べたら、三角標とは地図の測量のために組む高いやぐらのことだとわかった。だから1985年版(ブルカニロ博士篇)ではそういうふうに描き直しているんです。ただ、もっと調べると、本当は100とか1000とかあるものらしくて、3度目の漫画化(四次稿編)ではそれを意地で描き込みましたよ。実際に田んぼに行って、立っている鉄塔を写真に撮ったりして、細かい風景にもリアリティを追求しました。
1985年版(ブルカニロ博士篇)の「三角標」
――1983年版と1985年版(ブルカニロ博士篇)が収録された文庫と、現在刊行中の『四次稿編』を読み比べてみると、ますむら先生の研究や解釈の変遷が読み取れそうですね。
ますむら:1983年版は私にとって40年前の作品ですから、普通は絵柄も読む人の感覚も変わっていって古びてしまう。それが今も読まれ続けているのは、根底にある原作のすごさですよ。
そもそも、賢治の書く文章自体がすごく視覚的で魅力的なんです。だからこそ、具体的に絵にしてしまうと、賢治が本当に表現したかったものとはズレているような気がしてしまう。今だったらこう描けたんじゃないか、もっとこうしたらどうだろう、という思いが尽きないんです。
やはり、本来は『銀河鉄道の夜』を漫画化しようとすること自体が無茶なんですよ。今はCGやVFXの技術が発達しているから、むしろ今なら実写映画にしたらいいんじゃないかな。猫ではなく、イタリアの子どもたちを使ってね。それはいずれ作られるべきだと思う。だから、まだまだこの作品は未来を待ってるんですね。
最新の『四次稿編』に描かれた「三角標」(左)
そんなますむら氏の原画を展示した「『銀河鉄道の夜 四次稿編』複製原画展〜ますむらひろしの新たな挑戦〜」が、岩手県花巻市の宮沢賢治イーハトーブ館にて12月27日(水)まで開催中だ。汲めども尽きぬますむら氏の賢治愛、そのこだわりに、美しい原画を通して触れてみてはいかがだろうか。
『銀河鉄道の夜ーますむらひろし賢治シリーズ①』
取材・文/福田裕介、写真/林 紘輝(ともに扶桑社)
(プロフィール)
ますむらひろし
1952年、山形県生まれ。1973年に『霧にむせぶ夜』が第5回手塚賞に準入選しデビュー。ヨネザアド大陸のアタゴオルという架空の土地を舞台にした代表作「アタゴオルシリーズ」をはじめ、ファンタジックで童話的な作風が特徴。1997年、第26回日本漫画家協会賞大賞受賞。一連の宮沢賢治作品の漫画化の業績が認められ、2001年には宮沢賢治学会より第11回イーハトーブ賞を贈られている。現在、「しんぶん赤旗」日曜版に連載していた『銀河鉄道の夜 四次稿編』が刊行中で、最終4巻が今秋発売予定。