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人気アーティストもブチ切れ…「THE FIRST TAKE」“つまずき”を排除した音楽に感じる違和感

“失敗できない人たち”のヒリヒリ感を楽しむ娯楽

マイク

写真はイメージです

 まず演奏をする空間の演出。スタジオにはマイクや楽器以外は何もなく、演者以外は撮影スタッフの姿すら映り込まない徹底ぶり。このプレゼンテーションによって、視聴者に“タネも仕掛けもございません”といった印象を与えることに成功しています。音楽、ビジュアルの両面でノイズを取り払っているのですね。  こうして視聴者が強制的に集中させられることで、体ひとつで乗り込んだパフォーマーには“一切のミスが許されない”プレッシャーがのしかかる。  この“失敗できない人たち”のヒリヒリ感を楽しむ娯楽は、日本人が大変好むところでもあります。音程の正誤が瞬時にわかるカラオケ番組や、ミスタッチの回数でふるいにかけるピアノの腕自慢。音楽以外でも、負けたら終わりの高校野球や、ジャンプの失敗がクローズアップされてしまうフィギュアスケートもそうですね。  これと同じ感覚が『THE FIRST TAKE』のスリルであり醍醐味なのでしょう。減点方式のテストを音楽でやっている感覚ですね。

本当に音楽そのものを楽しんでいると言えるのか?

 確かに、そうした能力においてプロの凄さを知れる面はあるかもしれません。けれども、それは本当に音楽そのものを楽しんでいると言えるのでしょうか? 筆者には、『THE FIRST TAKE』が醸す緊張感は音楽によるものというよりも、他の物で替えがきく種類のお手軽な刺激なのではないかと感じます。  そしてアーティスト達がミスを犯さなかったことの証としてピッチ補正が多用されているのだとすれば、それは音楽受容における大きな損失だと言わざるを得ません。なぜなら、世の中にはズレた音程だらけでもカッコいい音楽が山程あるからです。  たとえば、ピッチ補正のかかったジミ・ヘンドリックスなど誰が聴きたいと思うでしょう? 忌野清志郎の歌はなぜ唯一無二なのでしょう?  音を機械的かつ数値的に固定することで、不完全さや曖昧さを含んだ全体を聴き取る力を失わせてしまうのですね。これはリスナーを育てるうえでも大変な損失なのだと思います。
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滅菌された“安心安全な歌と演奏”にはないもの
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音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

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