更新日:2023年09月21日 17:51
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“神宮外苑再開発を憂う”サザンの新曲に感じた違和感。メッセージはわかりやすいが「足りなかったもの」

主張が先走ると音楽のパワーが弱まってしまう“落とし穴”

 もちろん、桑田佳祐が何をどう考えるかは自由です。その点で批判したいのではありません。  問題は、主張を訴えたいと先走っているせいで音楽のパワーが弱まっていることなのです。なぜそうなってしまうのでしょうか?  ポール・サイモン(アメリカのソングライター。サイモン&ガーファンクルでも有名。代表曲「時の流れに」、「コール・ミー・アル」など)がその落とし穴について語っています。 <音楽にはあらゆる人が同じように感じる何かがあり、人間は皆、音楽とリズムとハーモニーという、ものすごくベーシックで感情に訴える部分でつながっているのだと。それを語彙に用いれば、多くの人間はわかり合える。(中略)ところが、そのサウンドで何かを語ろうとすると、そこで大騒ぎになってしまう。>(『インスピレーション』 著ポール・ゾロ 訳丸山京子 アミューズブックス刊 p.132) 「Relay〜杜の詩」は「そのサウンドで何かを語ろうとする」こと、そのものです。音楽がメッセージを伝えるための“手段”に格下げされてしまったために、作者の主張が最優先になってしまっている。ここが脆いのですね。

「音楽で社会批判をするな」という意味ではなく…

 だからといって、音楽で社会批判をするなという意味ではありません。ただし、そのためには一工夫が必要です。 「Jolly Coppers on Parade」(ランディ・ニューマン アメリカの映画音楽家、シンガーソングライター。代表曲「セイル・アウェイ」「きみは友だち」など)は、子供の目から警察への憧れを描いた曲です。(以下筆者訳) <Oh they look so nice Looks like angels have come down from paradise>(ああカッケー 天国からやってきた天使みたい) <Oh, mama that’s the life for me! When I’m grown that’s what I want to be>(ママ、ボクあれがいい おとなになったらあんな風になりたい)  見ての通りどこにも警察を批判する言葉は出てきません。警察を賛美していると思う人もいるでしょう。開放感あふれるメロディと和音も、いわゆる美しい社会をたたえているかのような響きです。  しかし、タイトルの「Jolly」(陽気な)という形容詞に、警察を軽蔑する言い方の「Coppers」を組み合わせている点は見逃せません。そして無邪気な子供が警官隊に憧れる構図そのものが、暴力装置の横暴に対する批判になっている。これを踏まえるとポップなサウンドが強烈な皮肉であることがわかるでしょう。  その中を“あてにならない語り手”=“警察に憧れる子供”が自由に動き、語ることで曲にストーリーが生まれるのですね。社会批判と作品鑑賞を両立させる例のひとつです。
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足りないのは「聞き手が立ち止まって考えるための奥行き」
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音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

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