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阪神優勝の立役者が果たした“重大な功績”とは「岡田監督は足を向けて寝られない」

“大切に扱われた”才木

 才木は16年ドラフト3位で阪神に入団し、1年目から3年目まで一軍で登板したものの、20年11月に右ひじの手術をして21年、22年は一軍での登板機会がなかった。それが23年になって活躍したのは、本人の懸命なリハビリもあったが、二軍監督だった平田がじっくりチェックしていたことが考えられる。 「才木は『ローテーションに入れば間違いなく活躍するだけの力がある』と言われながら、ここ数年はケガで泣かされてきました。そこから這い上がってくるプロセスを、当時の平田二軍監督が見続けていたからこそ、どんなに一軍で好投しても疲れで体がへばって投球フォームが狂う前に、二軍で調整させる時間を設けながらの登板をさせていたんだと思います

セ・リーグの野球にハマった大竹

 最後に大竹である。彼は球界初となる現役ドラフトによってソフトバンクから移籍してきたが、これも平田が二軍監督時代、大竹のピッチングを敵ながら観察していて、「セ・リーグに来たら面白い」と考えていたとしてもおかしくない。  パ・リーグはブンブン振り回す打者が多いのに比べ、セ・リーグは全体的にコンパクトに対応する打者が多い。つまり、駆け引きで勝負するセ・リーグのほうが、彼には向いていると見ていたからこそ、平田が進言し、岡田監督が指名したとしても不思議な話ではない。 「現役ドラフトで大竹の名前があったとき、岡田監督は迷わず大竹を指名したと聞きました。それだけに『セ・リーグに来たら活躍する』と確信めいたものがあったとしか思えません」(前出の江本氏)
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スポーツジャーナリスト。高校野球やプロ野球を中心とした取材が多い。雑誌や書籍のほか、「文春オンライン」など多数のネットメディアでも執筆。著書に『コロナに翻弄された甲子園』(双葉社)
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