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阪神優勝の立役者が果たした“重大な功績”とは「岡田監督は足を向けて寝られない」

3人がいなければBクラスだったかも?

 もしこの3人がいなければ阪神はどうなっていたか。江本氏は、「AクラスとBクラスの間をさまよっていた、いやひょっとしたらBクラスだったかもしれないですね」と語る。それだけに二軍監督として阪神の若手選手、さらにライバルとなる対戦相手の選手を見続けていた当時の平田二軍監督が、岡田監督にとって、大切な存在だった。 「表立って岡田監督は話していませんが、彼は平田ヘッドに感謝していると思います。普通は軸になるローテーションの投手を育てるのに、多くてもせいぜい2人いれば御の字というところを、一挙に3人も出てきて大事に投げさせていた。  もともと阪神は中継ぎ以降の投手が盤石だったから、彼ら3人が疲れなどで力が落ちたと見るや、すぐさま二軍で調整させることができたのも大きかった。岡田監督は平田ヘッドに足を向けて寝られないでしょうね(笑)

「12球団屈指の先発陣」で日本一を目指す

 優勝が決まり、シーズン中不調だった青柳と西も戦列に戻ってきた。実績のある彼らに加えて、村上、才木、大竹らを加えたローテーションは、今や12球団屈指の先発陣となった。  この先の日本一を目指すには、CS、さらには日本シリーズを勝ち抜かなければならないが、江本氏は「私自身、『ペナントレースとCSは別物』という考え方はたしかにある。ただ、今年の阪神の力であれば、いい結果を残すと期待しています」と話す。  阪神が日本一になったのは、今から38年前の1985年。1ヵ月後に再び歓喜の輪のなかに岡田監督が胴上げされている姿が見られるのか、この先の阪神の戦い方に注目したい。 <TEXT/スポーツジャーナリスト 小山宣宏>
スポーツジャーナリスト。高校野球やプロ野球を中心とした取材が多い。雑誌や書籍のほか、「文春オンライン」など多数のネットメディアでも執筆。著書に『コロナに翻弄された甲子園』(双葉社)
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