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三宅裕司72歳、“笑いと音楽の原点”を振り返る「落語はまだまだ年寄りが元気すぎる」

大阪の劇団に直訴

――お芝居はいつぐらいから始められたんですか。 三宅:大学を卒業してからです。「日本テレビタレント学院」というところに通って、そこでお芝居を始めて。ただ、そこは子どもばかりで、大学まで出た奴が行くところじゃないなと数か月で辞めて。その後、「東京新喜劇」という劇団に行ったら、そこの作家が「東京新社」という養成所の人で、そこに大竹しのぶがいたんです。その事務所のクリスマスパーティーで彼女とコントをやったこともあります。ただ東京新喜劇は公演することなく解散するんですよね。 ――そのときから喜劇をやりたかったんですね。 三宅:実は大学を卒業するときに、花登筺さんの「劇団喜劇」というところに入ろうとしたんです。大阪なんですけど、楽屋に行って「入れてください」と直訴しました。ただ、すでに募集は終わっていて、「次のオーディションに来てよ」と言われたんですけど、それっきりになっちゃいました。 ――お芝居自体もすんなり受け入れられたんですか? 三宅:志ん朝師匠が三木のり平劇団の舞台などに出ていましたから、全く違和感はなかったですね。東京新喜劇のオーディションを受けたときも、「すごくセンスがいいね」と褒められたんですが、「でも何かやるときに、すぐに正座するのはどうしてなの?」と聞かれて、「落研だったんですよ」と(笑)。

「5万円は前座のお値段」と言われて

――志ん朝師匠とお会いする機会はあったんですか。 三宅:僕は大学の学園祭で、落語研究会の渉外をやっていたので、「学園祭に来ていただけませんか」といろんな師匠に電話して出演交渉をしていて、志ん朝師匠や(三遊亭)圓生師匠にも電話をしたことがあります。実際、志ん朝師匠は学園祭に出てくれました。 ――すごい方々に出演交渉をしていたんですね! 三宅:師匠によって電話の対応も違うんですよ。圓生師匠に出演交渉したときは、ご本人とお話ししたんですけど、「ギャランティはどれぐらいなんでしょうか?」「5万円しかないんですけど」「5万円ですか。それはあなた、前座さんのお値段ですよ」と言われて(笑)。おそらく圓生師匠は相手が学生だと分かっていなかったんでしょうね。志ん朝師匠もご本人が対応してくれて、こちらは「学生さんですからお金は幾らでもいいですよ」と。 ――学生に理解があったんですね。 三宅:学園祭当日も、志ん朝師匠は楽屋に入ってくるなり、「いやあ、暑くて参ったよ」って普通にしゃべってくれるんです。「ここに来るまでに車が信号で止まっちゃってさ。校舎が分からなくて、信号も赤だし、前に停まっている運転手さんに聞こうと思って、コンコンって窓を叩いて運転席を見たら、これが外国人なんだよ」って、いきなりオチがついていて落語まんまだと(笑)。すごく話しやすい人でしたね。
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観る人全員が笑って、感動して
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出版社勤務を経て、フリーの編集・ライターに。雑誌・WEB媒体で、映画・ドラマ・音楽・声優・お笑いなどのインタビュー記事を中心に執筆。芸能・エンタメ系のサイトやアイドル誌の編集も務める。

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劇団スーパー・エキセントリック・シアター 第61回本公演
「ラスト★アクションヒーロー~地方都市に手を出すな~」

日時:2023年10月19日(木)~10月29日(日)
場所:サンシャイン劇場

【作】𠮷井三奈子
【演出】三宅裕司
【出演】三宅裕司 小倉久寛
劇団スーパー・エキセントリック・シアター

劇団スーパー・エキセントリック・シアター第61回本公演は、とある地方都市に潜入した公安特殊部隊とスパイ組織による、極秘に開発された超小型スーパーコンピューターを巡るスパイアクション。純朴な町の人々を巻き込み水面下の攻防戦が繰り広げられる、男たちの熱き絆と友情の群像劇。劇団スーパー・エキセントリック・シアターが最も得意とする“アクションの集大成”。
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