更新日:2023年10月04日 17:38
仕事

父子家庭、介護職から銀座ホステスに「経済的に恵まれていた同級生が羨ましかった」

クラブ、キャバクラ、スナック。水商売で働く女性たちはどんな仕事観、ポリシーを持ち、日々の業務についているのだろうか。夜の街に足を踏み入れたきっかけから、接客の心得まで――男性ビジネスマン諸氏も参考にできる“夜の仕事論”について語ってもらった。
ル・ジャルダン あい

あいさん

波乱万丈の人生で育まれた自立心と献身性 銀座 クラブ「ル・ジャルダン」あいさん

 銀座の名物ママとしてメディア露出も多い望月明美氏がオーナーを務める「ル・ジャルダン」は1996年オープンの老舗で、長きにわたって銀座の夜を彩り続けている。  今年4月に神戸から上京して、すぐに「ル・ジャルダン」で働き始めたあいさんは、小さい頃から音楽を愛し、現在も歌手を目指してボイストレーニングにも通っている。銀座歴は半年ほどだが、ここに至るまではドラマのように波乱万丈なストーリーがあった。 ――この春、上京したばかりだそうですね。 あい:今年3月31日に神戸から引っ越してきたばかりです。時期が時期だけに引っ越し業者がいっぱいだったので、自分で引越しをしようと思ってレンタカーでハイエースを借りて。荷物も大きい家電などは処分して、服や最低限必要ものだけをダンボールに詰めて、一人で運転して上京しました。 ――一人で? 神戸から東京だと片道6,7時間かかりますよね。 あい:しかも乗り捨てができなかったんです。だから夜中の2時ぐらいに神戸を出て、東京に着いたのが午前9時ぐらい。ダンボール20箱分ぐらいの荷物を降ろして、宅配の受け取りなどがあったので午後4時過ぎぐらいに東京を出て、午後11時までにレンタカーを返さなきゃいけなかったんですけど、到着したのは30分遅刻して午後11時半。一日で1000km以上移動しました(笑)。 ――出身も神戸なんですか? あい:徳島県出身なんですけど、ずっと地元から出たいという思いがあって。高校卒業後は東京か関西に出ようと考えていたんですけど、父が病気になって。私が小さいときに両親が離婚したので、母がいないんですよ。妹もいるんですけど、父が心配だったので徳島を出ることができずに地元で就職をして。私が21歳のときに父が亡くなったので、そのタイミングで神戸での生活を始めました。

宴会コンパニオンの仕事で接客業に目覚める

――なぜ、このタイミングで上京を決意したのでしょうか。 あい:もともと歌手になるのが夢だったんですけど、厳しい世界なのは分かっていましたし、絶対になれる自信もなかったので一度は諦めたんです。でも神戸のキャバクラで働いていたときに、お客様に「歌手になりたいんだったら30代になるまでにやってみたら」と言われて。やらないよりはやって後悔したほうがいいなと思い始めて、3月で家の契約が切れたし、季節的にも良いタイミングだと思って決意しました。 ――夜のお仕事は神戸が初めてだったんですか? あい:徳島にいた頃に、宴会コンパニオンのお仕事をしたのが最初です。昼は一般企業に正社員として勤め、土日に介護職をやっていたんですが、友人に誘われて一度入ってみたら、宴会の席でお酒を注いだり、カラオケなどで盛り上げたりするのが楽しくて。接客のお仕事は自分に向いているなと思って、神戸ではキャバクラに勤めたんです。 ――小さい頃から音楽が好きだったんですか? あい:私が5歳のときに両親が離婚したんですけど、小さかった妹は一時的に母が引き取ったので、一人で留守番をしていても寂しくないようにと父がピアノを買ってくれたんです。それで独学でピアノを始めたんですが、父が病気がちだったので、2年ぐらい入院する時期があって、そのときは児童養護施設で2年間過ごしました。施設の先生がピアノを教えてくれたので、どんどん音楽が好きになって、中学時代は合唱部に所属しました。 ――高校時代は合唱部じゃなかったんですか? あい:高校時代は薙刀(なぎなた)部でした。というのも父が大学に行かせてあげるお金がないという状況で、奨学金を借りて大学に行くのも反対。卒業したら就職しなさいと言われていたので、就職に有利なのは運動部と先生から言われて。ただ部活でかかる費用も自分で出しなさいと父に言われて、バイトをしながらできる運動部が唯一、薙刀部だけだったんです。
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父子家庭で学校のイベントごとが嫌に
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出版社勤務を経て、フリーの編集・ライターに。雑誌・WEB媒体で、映画・ドラマ・音楽・声優・お笑いなどのインタビュー記事を中心に執筆。芸能・エンタメ系のサイトやアイドル誌の編集も務める。

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