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47歳の元パチプロ「破滅の始まり」を語る。高校中退してパチプロになるまで

高校中退して3か月後にはパチプロに

パチンコ アレジンの虜になった中山さんは、しだいに工事現場から足が遠のき、中退して3か月後には、完全にプータロー状態でほぼ毎日アレジンを打つようになってしまったという。 「たぶん、これが“最大の不幸”なんだけど、俺、アレジンと相性が抜群によかったんだよ。まぁ、プロ時代にみたいに毎日収支を付けてたワケじゃないから、思い過ごしってのもあるとは思うけど、とにかく負けた記憶がほとんどない。夕方から行ってフラッと座って500円で当てたことも何度もあった。 親方の仕事バックレちゃってから1か月くらいして、財布の中見たら30万円くらい入ってて、あれ? 銀行にも行ってないし、俺、すげぇ勝ってんじゃんって。もしかしてパチンコで食えるんじゃねえの?って思った」

攻略誌でアレジンを研究して他の連チャン機も研究

 ここから中山さんは徹底的にパチンコを研究し、パチプロとしての第一歩を歩み始めたという。 「俺がアレジン打ち始めたのって、導入から1年くらい経ってたの。だから、リアルタイムで取り上げる雑誌って、その頃はもうなかったんだよ。だから古本屋とか回って、アレジンのことが書いてあるパチンコの本を片っ端から買って、連チャンシステムやクギとか研究したんだ。雑誌には他の台も書いてあるからアレジン以外の台のことも知るわけ。そうなると、やっぱり打ちたくなっちゃうじゃん。当時は連チャン促進打法とか台によってはあって、保留ランプをつけずに打つと連チャン率がアホみたいにアップする台とかあったんだけど、田舎のパチンコ屋に来てる連中なんて、誰もそんなことやってないわけ。そういう打ち方をしたら本当に連チャンするから、ますますのめり込んじゃった」
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グルメ、カルチャー、ギャンブルまで、面白いと思ったらとことん突っ走って取材するフットワークの軽さが売り。業界紙、週刊誌を経て、気がつけば今に至る40代ライター

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