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47歳の元パチプロ「破滅の始まり」を語る。高校中退してパチプロになるまで

週4日稼働で月30万円稼げるパチプロ生活

パチンコ こうして中山さんは高校退学して半年後には、完全なパチプロとして生計を立てるようになったようだ。だが、本人は「パチプロとはその頃、思ったことはなかった」という。 「やっぱり当時のホールの状況や設置されていた機種の仕様が今より甘くて、客もたいして情報を知らずに打っていたから、ちょっと知ってるだけでオイシイ思いができた。当時は店休日もあったし、日曜なんかは客も多いしクギも締まるから打たなくて、週4日の稼働で月に30万円近く浮かせていたから、今考えると“仕事”としては優秀だったと思う」  18歳になると家を出て一人暮らしを始め、車も購入したというから、どう見ても立派なプロだろう。

パチプロからスロプロになる

 アレジンと戯れる日々を過ごすこと2年。ホールの状況はCR機の登場と連チャン機の規制によって大きく変化したことで、中山さんはパチンコからパチスロへと移ることになる。 「ちょうどCR機が出てきて、連チャン機が規制でどんどん撤去され始めちゃって、さてどうしようかなぁと思ってたときに、中学時代の先輩とホールでバッタリ会った。それで、パチスロ打とうぜって誘われて、初めて打ったのはニューパルサー。そっからは、毎日先輩と打って、メシ食いながらリーチ目とかスベリとか、パチスロのイロハを全部教えてもらった。当時の愛知県は8枚交換、しかも技術介入できるのにやんない客ばっかだったから、低設定なんて使ったら客がボロ負けする状況だったんだ。だから優良店じゃなくても設定5〜6の台を使う店は珍しくなくて、設定判別して高設定の台を見つけて打ち続ければなんとかなったのよ」  パチスロを打つようになって中山さんが覚えたのは立ち回りだ。狙い台の選定や他の台の稼働状況を見て打つようになり、「階段を一段上がった」と中山さんは振り返る。 「当時はデータカウンターなんかないから、丸一日打って島の状況を観察できるってのは、かなりのアドバンテージなんだよ。大当り回数、おおよその回転数をメモしていくだけでも、その店の設定変更のクセもわかる。ジグマにはオイシイ時代だったわな」  だが、そんなオイシイ時代はそう長くは続かなかった。
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「治験」のバイトをやってみた結果
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グルメ、カルチャー、ギャンブルまで、面白いと思ったらとことん突っ走って取材するフットワークの軽さが売り。業界紙、週刊誌を経て、気がつけば今に至る40代ライター

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