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47歳の元パチプロ「破滅の始まり」を語る。高校中退してパチプロになるまで

逃げるように地元を離れ東京へ

パチンコ プロとして何不自由なく暮らしていた中山さんだったが、彼の人生を大きく変える「ある出来事」が起きる。 「23歳の頃、ツレが起こした交通事故がきっかけでヤクザとの揉め事に巻き込まれて、地元に居づらくなっちゃったの。朝、パチ屋に並んでいたら数人で脅しに来たり、実家にも嫌がらせが来たりね。名古屋市内に引っ越そうかとも考えたけど、どうせならって車も売り払って東京に行ったんだ」  中学時代の友人宅にしばらく身を寄せ、中山さんは食える店を探して都内近郊のホールを調べ、最終的に町田市を拠点にパチプロ生活を始めた。 「東京に来てから2年くらいはよかったんだけど、爆裂AT機が主流になってから調子が狂っちゃった。ライバルは多いし、技術介入系のAタイプの台は減るし……。貯金もだいぶ減ってきて、いよいよまずいなって時に、よくパチ屋で一緒になっていたヤツとメシを食いに行ったの。そこで治験やんない?って言われた」  治験とは新薬を実際に飲むなどして、その安全性を確認する臨床試験である。近年はネットで参加者を集うなど一般的になりつつあるが、当時は紹介制であったりして、アングラバイトの代名詞でもあった。

治験に参加してパチプロネットワークを構築

 治験に参加してみると、そこにはダメ人間の巣窟だったという。 「他人から見たら俺も『何やってるかわかんない人』だったけど、治験に参加してる連中は本当に何してるかわかんない連中だった(笑)。治験って、薬飲んだらやることなくて、本読むか寝るか。パチンコ雑誌読んでたら声掛けられて、それで仲よくなったKさんってのが、治験とパチンコで食ってるって人だったんだよ。当時、治験は1回参加すると半年は参加できなくて、治験団体に登録したら他の団体に登録できないようになってたんだけど、偽名を使っていくつも登録して、治験行ってパチンコ打って、また治験行って……ってやってたんだ。パチンコも5、6人のグループで新装や新規開店、イベントの情報を共有して……みたいな、昔の開店プロ集団みたいなことやってたんだよ」  ほどなくして中山さんもそのグループに加わり、関東近県だけでなく時には名古屋、仙台にまで脚を伸ばしパチンコ、スロットを打ちまくったという。 「グループって言っても、決まりやルールがあるわけでもなく、普段は1人で打って治験に行ったりしてた。それで情報が入るとみんなで共有して打ちに行くくらい。全員が揃うことなんてほとんどなくて、誰かが治験に行ってんのね(笑)。で、そんな生活が30歳くらいまで続いたんだけど、掛け持ちしてたことがバレて、治験できなくなっちゃったんだ」  そして時を同じくして、グループも消滅。Kさんがある日突然姿を消したのだ。 「電話したら『現在使われておりません』って。えーっ!って。他のヤツにも聞いたけど、まるでわかんないって。俺もその2日前メシを食って、来週は川崎のホールに行こうなんて話してたのにね……。家も知らないし、探しようもなかった。Kさんがいなくなっても一緒にイベント回りしたりしたんだけど、半年くらいで自然消滅しちゃった」  中山さんの人生は、ここからさらに大きく変わっていくことになる。 取材・文/谷本ススム
グルメ、カルチャー、ギャンブルまで、面白いと思ったらとことん突っ走って取材するフットワークの軽さが売り。業界紙、週刊誌を経て、気がつけば今に至る40代ライター
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