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小屋を建てると世界が変わる。試行錯誤を繰り返した先に「自己肯定感」の本質がある/『自由の丘に、小屋をつくる』書評

―[書店員の書評]―
 世の中には読んだほうがいい本がたくさんある。もちろん読まなくていい本だってたくさんある。でもその数の多さに選びきれず、もしくは目に留めず、心の糧を取りこぼしてしまうのはあまりにもったいない。そこで当欄では、書店で働く現場の人々が今おすすめの新刊を毎週紹介する。本を読まなくても死にはしない。でも本を読んで生きるのは悪くない。ここが人と本との出会いの場になりますように。

川内有緒・著『自由の丘に、小屋をつくる』(新潮社)

 実際に体験した者にしかわからない真理のようなものが私たちの生活にはあり、小屋を建てると世界が変わる、というのもそのひとつである。端的に言ってしまえば、小屋を建てられたんだからもうなんでもできちゃうぜ〜! 最強! 無敵! みたいな感じになる。なってしまうのである。  さて、小屋を建てると聞いてイメージされるものはなんだろうか。自然豊かな環境が云々とか、消費社会に抗うための云々とか、そういうものが思い浮かぶかもしれない。『自由の丘に、小屋をつくる』の著者・川内有緒の場合もまずはそういう思いがあったようだ。生まれてきた子供に自然豊かな環境を、という願い。大量生産・大量消費が美徳とされた時代に大人へと成長し、しかしその価値観に疑問符を突きつけざるを得なくなる事象が、ここ10年ほどの間で多く起きているということ。そういったことが著者を小屋作りに向かわせた、と書いてある。  しかし同時に著者が言うように、それは「丁寧な暮らしを」というようなものではなく、むしろ次の一文にこそその真髄があるように思える。「ただ、わたしたちは自分で何かを生み出すことができると信じたかった」(24頁)と。  小屋作りに対するイメージについて、もう少し続けてみよう。おそらく(小屋を作ったことがない)あなたはこうも思うだろう。小屋作りなんて自分にはできないな……(ある程度専門的な知識や技能がある人だからできるんでしょう?)、と。  しかし「中学校の家庭科は堂々たる「一」で、エプロンでもパジャマでもわたしが作ると、シャキッとしないものができあがった」(22頁)著者はこう言う。「いいじゃん、不器用上等だ。やってみようじゃないか。作り方がわからなければ、習えばいい」(24頁)。  そう、習えばいいのである。実際、著者はまずDIY工房に通ってどうにか机を自作し、そのうち実家の床の貼り替えまでやってのけた。結局のところ、すべてを独力でやらねばならないわけではないのだ。知識や技能がある他者の助けを借りて、どうにか作る。そうしていくうちに、自分の知識や技能も培われていく。なんだか楽しそうなことをやっているから、助けてくれる他者も増えていく。すると、気づけばそこに小屋が建って/立っているのだ。  もちろん、それなりの年月はかかる。しかし、体感的にはあっという間だったはずだ。それは本書を夢中になって読み終えてしまう私たち読者のそれと、同じに違いない。さまざまなトラブルが生じ、時には挫けながら、それでもああでもないこうでもないと小屋の建築を続ける者たちの姿を見れば、夢中になるのは当然である。そして、なんだか自分にもできるような気がしてくるはずだ。著者は「喫茶店ではバイトしないほうがいい」とも言われていたくらい不器用なのだから。  ご存知の方もいるだろうが、私も小屋作りの経験者である(冒頭の全能感は私が感じているものだ)。著者の小屋作りとほぼ同時期だったことを知ってなんだかうれしかったが、私の小屋は著者が完成させたものの100倍、雑である。しかし本書でも言及されるあの歴史的な台風を耐えたし(屋根が1m四方ほど剥がれたけど)、1年以上本屋として営業を果たした。一応、今も立っている。  ちなみに私の場合、ほぼすべての工程においてひとりで建てている。ヘルプに来てもらった知人数人も専門的な知識や技能は持っていない。文字通り、全員が素人のまま完成させてしまったのである。おかげで設計図はそもそも存在せず、ところどころ穴もあいている。私が唯一プロ(建築士)に教わったのは、骨組みの直角と平行を丁寧に作ることと、建物の下部は重くして上部は軽くする、この2点くらいだ。しかし何度でも言おう。それでも小屋は建ったし、今も立っている。そして、私はいまだに真っ直ぐに木を切れない。    さあ皆のもの、小屋を建ててみよう。自室に収まるような、縦横高さがそれぞれ1mずつくらいのものでも十分だ。穴があいている? 傾いている? そんな「ミス」など生じて当然、気にせず進もう。ひたすら試行錯誤を繰り返し、作っては壊し(壊れ)、作っては壊し(壊れ)を繰り返す先に、私たちが本来手に入れるべきものが待っている。  それは、現代を生きる我々が常に問いかけられるがゆえに、もはや「高めなくてはならない」ものとして義務になってしまった「自己肯定感」の本質なのではないだろうか。小屋を作るという「自ら選んだ意味不明な行動と引き換えに得られるものは、自分の中に彼方まで広がる内なる自由」(343頁)なのだ。もう40歳を過ぎた大人だから? 母親だから? そんな足枷は気づくと外れている。  小屋を建てると世界が変わる。それは個人の世界のみならず、そうして得た自由によって選択と行動が変容した個人によって動かされる、大きな世界でもある。たったひとりしか入れないちっぽけでヘンテコな小屋だとしても、そこには無限の可能性がある。このクソみたいな世界で生きていかざるを得ない私たちのための足場、あるいは骨組みとしての本書を、まずは開いてみよう。 評者/関口竜平 1993年、千葉県生まれ。法政大学文学部英文学科、同大学院人文科学研究科英文学専攻(修士課程)修了ののち、本屋lighthouseを立ち上げる。将来の夢は首位打者(草野球)。特技は二度寝
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