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「本を読むたびに光を、希望を、生への欲求を感じる」“わからなかった本”を10年後に再読して思うこと/『灯台へ』書評

―[書店員の書評]―
 世の中には読んだほうがいい本がたくさんある。もちろん読まなくていい本だってたくさんある。でもその数の多さに選びきれず、もしくは目に留めず、心の糧を取りこぼしてしまうのはあまりにもったいない。そこで当欄では、書店で働く現場の人々が今おすすめの新刊を毎週紹介する。本を読まなくても死にはしない。でも本を読んで生きるのは悪くない。ここが人と本との出会いの場になりますように。

ヴァージニア・ウルフ 著、鴻巣友季子 訳『灯台へ』(新潮文庫)

 何年か経ったあとに再読してやっとわかる本がある。自分のヴィジョン(見方)を摑んだ、と感じる瞬間とでも言うべきか。  ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』(新潮文庫)はその1冊だ。初読は確か大学3年生のときだったはず。所属していたゼミの教授がウルフの研究をしていて、授業で扱ったのだ。当時は岩波文庫版を読んだ。よくわからなかった。知識も経験もまったく足りていなかった。本当に何もわかっていなかったのだ。ただ、この本を、あるいは作者を、わかりたいという思いもまた生じたのだった。  この物語にわかりやすくドラマチックな展開はない。別荘地で過ごすとある家族が明日近場の灯台に行けるかどうかについての会話を交わしているところから始まり、その後、夜のパーティーのための準備をして、パーティーを終える。ただそれだけの、ストーリーとも言えないような時間が過ぎる。しかし第一部で描かれるこのたった1日の中には、書き尽くせないほどの意識=感情が存在している。それを作家は書き尽くそうとしているかのごとく、ページは埋め尽くされる。  と、ここまで書いてみたはいいものの、私はこの小説の面白さをうまく説明することができないし、その役割はすでに多くの先人が果たしてくれているとも思う。だから少し違う角度から書いてみたい。  私が運営しているお店「本屋lighthouse」の店名は、この物語からとっている。半分本当で半分噓だ。先ほども書いたが、よくわからないままだったからだ。しかし、何か縁のあるものだとはずっと感じていた。ゆえに店名に採用した。 『灯台へ』のラムジー一家は結局、灯台へは行かなかった。あの日に居合わせた知人たち含め、みな行かなかったがゆえに灯台行きのことが記憶の片隅に残っている。それは行けなかったからなのか、実際に行ってみてそんなに面白くもないことを証明したかったからなのか、あるいは……というように理由はさまざまあるだろう。ただ、とにかく、「行かなかった」ということが彼らの中に何かを残したのであれば、それはある種の縁と言ってもよいだろう。  10年後、ラムジーとその子供たちは灯台へ向かう。あの日漕ぐことがなかったボートに乗って。10年後、私は『灯台へ』を再び読んでいる。あの日よくわからなかった本を、灯台の名を冠する本屋となって。  かつて息子に「まず晴れそうにないがね」(10p)と言い放ち灯台行きの希望を失わせた父・ラムジー。父に正論を吐かれ「父さんの胸にぐさりと穴をあけて殺してやれそうな武器でもあれば」(10p)と当時6才ながらも激情をたぎらせたジェイムズ。灯台へと向かうボートの上での出来事を想像しつつ、あの日にうまく描けなかったまま放置していた作品に再び取り組む画家のリリー。彼らが生きている世界に再び参与する本屋の私。みな10年の歳月を経て、それぞれ今日この日において何かを得る。   灯台、そしてその光は海に出ている者にとっての参照点だ。目指すべき場所そのものになることもあれば、灯台を目印に別の方角へ向かうこともある。あるいは不意に海に投げ出されてしまった者にとっては、安全な陸地の存在を証明するものとなる。あるいは陸地であっても、暗闇に立ち尽くすほかない者がいるのなら、その足下を照らす光があることは支えとなるだろう。  本も同様の存在なのではないかと思っている。ならば本屋は灯台であり、灯台守であるとも言える。どの灯台を参照点とするか、その灯台の発するどの光を自分の希望とするか、その判断は各々にある。ゆえに本屋=灯台守である私は、ただそこに存在し、誰かの希望になるかもしれない本=光を置く。  その本をあなたは手にとる。その瞬間すぐに光となればもちろん素晴らしいことだが、そうではないこともあるだろう。しかしそれでも希望であることに変わりはない。その本はいつかのあなたにとって、参照すべき存在となる。目指すべき場所となる。思い出すまで忘れていてもいい。思い出さずにいられるならそのほうがよいかもしれない。たとえ再びページが開かれることはなくとも、そこにあるだけで光となる。  彼らが灯台へと向かった日、10年前のあの日あの場の中心にいたはずのラムジー夫人はいない。私はなぜかそのことがとても悔しい。もしそこに夫人もいたのなら、何を参照し、どのようなヴィジョンを得ただろうか。  不思議な縁に導かれたかのような私は、10年後、そのまた10年後……と本書を読むことになるだろう。そのたび光を、希望を、そして生への欲求を、私は感じることになる。何度でもヴィジョンを摑む。かつてわからなかった/行けなかったあの場所へ。あなたもそうであってほしい。 評者/関口竜平 1993年2月26日生まれ。法政大学文学部英文学科、同大学院人文科学研究科英文学専攻(修士課程)修了ののち、本屋lighthouseを立ち上げる。著書『ユートピアとしての本屋 暗闇のなかの確かな場所』(大月書店)。将来の夢は首位打者(草野球)。特技は二度寝
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