エンタメ

「人間の承認欲求」がテーマの小説に自分の「みっともない欲望」を打ち抜かれる/小川哲・著『君が手にするはずだった黄金について』書評

―[書店員の書評]―
 世の中には読んだほうがいい本がたくさんある。もちろん読まなくていい本だってたくさんある。でもその数の多さに選びきれず、もしくは目に留めず、心の糧を取りこぼしてしまうのはあまりにもったいない。そこで当欄では、書店で働く現場の人々が今おすすめの新刊を毎週紹介する。本を読まなくても死にはしない。でも本を読んで生きるのは悪くない。日刊SPA!で書店員による書評コーナーがスタート。ここが人と本との出会いの場になりますように。
君が手にするはずだった黄金について

小川哲・著『君が手にするはずだった黄金について』(新潮社)

 近年、書店員には刊行前の小説のゲラ(原稿をレイアウトして印刷したもの)やプルーフ(ゲラを組んで本の体裁にしたもの)がよく配られる。出版社が発売と同時に推薦コメントとして宣伝に使うためだ。この『君が手にするはずだった黄金について』もそうやってプルーフが配られたので、刊行前に読んだ。読み出したら夢中で、一気に読んでしまった。にもかかわらず、私はこの本を褒めたたえるコメントを出すのに抵抗感を覚えて、そのまま感想を送らないままにしてしまっている。その理由を書いていこうと思う。  小川哲・著『君が手にするはずだった黄金について』は不思議な構成の小説である。主人公は最近大きな文学賞を受賞した「小川哲」という作家である。この「小川哲」が昔体験した出来事や、交流のあった人間を回想する。読者は当然、この「小川哲」=作者自身と解釈して、彼が実際に出会った人や体験した出来事を小説として書いたのだろう、と考える。が、これのどこまでが本当にあったことなのか、実在する人物なのかはまるでわからない。おそらく100%のリアルではないし、100%のフィクションでもないのだろう。  内容は短編小説が5篇、それと「エッセイ」と称する文章で構成されるが、この「エッセイ」もどこまでが実際にあった話なのか、創作なのかが判然としない。  就活のエントリーシートで「あなたの人生を円グラフで表現してください」という設問を見て、そこから何も書けなくなってしまった就活生の「僕」の話。東日本大震災の前日に何をしてたか?という話から「僕」の記憶が揺らぎだす話。学生時代の友人から「妻が作家になろうとしているのを止めてくれないか」と依頼される小説家の「僕」の話。仕事で知り合った有名漫画家の腕にはめられていた高級腕時計が実は偽物であると気づいてしまった「僕」の話。 「虚」と「実」の線引きが曖昧な物語で提示されるテーマは「人間の承認欲求」である。人から尊敬されたい。「すごいですね!」と褒められたい。チヤホヤされたい。そんな気持ちが外面にこぼれ出している登場人物たちの振る舞いを、主人公の小川は冷静に観察する。  高校の同級生・片桐が、卒業後しばらく会わないうちに有名投資家になっていた、という表題作「君が手にするはずだった黄金について」がひときわ印象的である。片桐は高校時代から自己評価と実際の能力に差があり、虚栄心が強く、口だけは達者な男だった、として小川から語られる。卒業後の仲間との集まりで「あいつ、今何してる?」「片桐って、こんなことあったよな」と距離は置かれながら、常に酒の肴にされる存在だ。そんな中、小川は同級生から片桐が現在4万人のフォロワーを持つ有名投資家になっているという話を聞かされる。片桐は80億円を運用するトレーダーになっており、六本木のタワマンに住み、寿司や高級腕時計、著名人とのツーショット写真をインスタグラムに投稿していた。驚きながらもそのまま距離を保っていた小川に、ある日片桐から連絡が来る。そして二人は会うことになる。  この話はとても引き付けられた。最終的な結末(読んでご確認ください)も含めて面白かったし、よくできていた。ただし、この話はまったく好きではないな、とも思った。というのは主人公の小川が一貫して「冷静な観察」から一歩も外に出てこないからだ。  過去をよく知る人間が、自分の知らないコミュニティで大きな影響力を持った「界隈の有名人」になっている。それに対して小川は「ふうん」という冷めた態度を崩さない。もちろん小川は片桐に興味がないからそうなるのだが、外面はともかく内面としては「一応は称賛しつつ、どこかに『面白くない』というしらけた気持ち」を持つのではないか?と思った。それが「人間」なんじゃないか、と。  私は、おそらく「片桐」なのだ。自己評価と実際の能力に差があり、虚栄心が強く、口だけは達者な片桐なのだ。日ごろ「なんでもないですよ、これが普通ですよ」という顔をしながら、内面では「チヤホヤされたい」という欲求を押し殺している。「そんな感情は存在していない」と忘れようとしている。でも、根底にはずっと「誰かに、社会に認められたい」という気持ちがある。だからそういう人間を冷たく観察しているだけの小川にイラっとするのだ。  全編を通じて非常に面白かった。面白かったが、私の中にある「みっともない欲望」を打ち抜いたこの作品を、全然好きになれない。「嫌だな」とすら思う。でもその「嫌さ」も、時間が経つと話のネタになってくる。ネタになる小説は、何も残らない小説よりもはるかにいいに決まっている。 評者/伊野尾宏之 1974年、東京都生まれ。伊野尾書店店長。よく読むジャンルはノンフィクション。人の心を揺さぶるものをいつも探しています。趣味はプロレス観戦、プロ野球観戦、銭湯めぐり
おすすめ記事
ハッシュタグ