“作家デビュー”の舞台裏を描いた小説。隠しておきたかった自分の本心が白日の下に晒される/『うるさいこの音の全部』書評
―[書店員の書評]―
世の中には読んだほうがいい本がたくさんある。もちろん読まなくていい本だってたくさんある。でもその数の多さに選びきれず、もしくは目に留めず、心の糧を取りこぼしてしまうのはあまりにもったいない。そこで当欄では、書店で働く現場の人々が今おすすめの新刊を毎週紹介する。本を読まなくても死にはしない。でも本を読んで生きるのは悪くない。ここが人と本との出会いの場になりますように。
懇意にしていただいている取引先の方とひとしきり楽しくお話しした後、背中を見送りながらまたやってしまったと後悔する。ふと、数か月前に読んだネット記事を思い出す。
〈私は、そう思ってないと本当にウソばっかり言っちゃうんです。職場とかで、めっちゃしょうもないウソをすぐ言います。たとえば昨日地震があったとするじゃないですか。そしたら、「昨日、地震で目覚めたよね」って同僚に話しかけられて、実際はぐっすり寝てて地震に気づいてなくても、「めっちゃ目が覚めちゃって、そのあと寝れなかったです!」とか、「めっちゃメダカの水槽揺れたんですよ!」とか、適当なこと言っちゃうんですよ(笑)。ほんと無駄なウソ。意味ないし、誰も真偽のほどはわかんないし。〉 「情報・知識&オピニオン imidas」より引用
以前、対談記事に載っていた高瀬さんのこの言葉を読んだとき、驚いて何度も読み返してしまった。それはあまりにも私自身の普段の言動と同じだったからで、そんな人が存在するなんて思ってもみなかったからなのだ。
こんなふうに「私しかいないに違いない」と思い込むこと自体、ある種の自惚れに過ぎないのだが、でもそんな無意味な噓を吐きまくってる人がいるなんてとても思えない。だって、私から見る職場や友人などの他人はみんなとてもキラキラしていて、誠実で、本当のことを屈託なく話しているように見える。ほころびが無いのだ。
今作『うるさいこの音の全部』は、ゲームセンターで働く長井朝陽が主人公。朝陽は早見有日というペンネームで小説を書いていたが、芥川賞を受賞したことをきっかけに、凡庸な日常が変化していく。目立つことなく日々を過ごしたかった朝陽は、広報部長に社内報でコラムをもってくれないかと頼まれたり、フィクションである小説の中の話があたかも本当のことであるかのように先輩に思い込まれていることを目の当たりにしたりするうち、現実と虚構がないまぜになっていく。
朝陽自身のエピソードと、その朝陽が執筆している小説が交錯する作品の構造も相まって、読者である我々も翻弄される。今立っている場所が曖昧になるような錯覚に襲われて、不安感が増していく展開の独特の怖さは高瀬作品でしか味わえない感覚だ。
朝陽も、有日が書く小説の主人公も頻繁に噓を吐き、取り繕う。その主人公の大学生は、仲間内にうまく溶け込むためにわざと軽薄なふりをする。中華料理屋の店員を誑かして無銭飲食したり、好きでもないその店員の誘いに応じて付き合ってみたり。それらは全て、仲間内で盛り上がる話のネタのためだ。
朝陽は受賞インタビューの最中、流れるように噓のエピソードを話す。それを記者や編集者に見破られるシーンは、思わずこちらの胃が痛くなる。
注意深く読むと、噓が散りばめられた文章の中に、はっとするほどの「本当の言葉」が読み取れる。それは朝陽も有日も飛び越えて、高瀬さん自身の本心ではないかと錯覚するほどに。そのあまりに切実な吐露は、噓だらけの中にあるからこそ一際尊いものに思える。
他人をどこか見下しているけれど、その他人の優しさや存在は決して嫌ではなく、むしろ欲している。だからこそ、その場を楽しませたくて思わず噓を吐くのだが、その行為自体は不誠実でもある。程度の差こそあれ、こういうちぐはぐな気持ちは誰の中にもあるのかもしれない。この小説には、隠しておきたかった自分の本心が白日の下に晒されるような、スリリングな面白さがある。
実際に高瀬さんにお会いする機会があったとき、どうしても聞きたかった質問をした。
「私も小さくて無意味な噓を日々たくさん吐いてしまうんですけど、本当にこの人にだけは噓を吐きたくないっていう相手にはどうしていますか」
高瀬さんはうーん、と少し悩まれた後、こう返してくださった。
「市川さんは、そういう人たちにも本当のことしか話しませんか」
悪戯っぽいようで、大真面目に返してくださったその笑顔にくらくらして、このままでいいかもな、と不思議な勇気をもらったのだ。
評者/市川真意
1991年、大阪府生まれ。ジュンク堂書店池袋本店文芸書担当。好きなジャンルは純文学・哲学・短歌・ノンフィクション。好きな作家は川上未映子さん。本とコスメと犬が大好き
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