「どこまでがリアルで、どこからがフィクションかわからない」先が見えない登山小説/上出遼平・著『歩山録』書評
―[書店員の書評]―
世の中には読んだほうがいい本がたくさんある。もちろん読まなくていい本だってたくさんある。でもその数の多さに選びきれず、もしくは目に留めず、心の糧を取りこぼしてしまうのはあまりにもったいない。そこで当欄では、書店で働く現場の人々が今おすすめの新刊を毎週紹介する。本を読まなくても死にはしない。でも本を読んで生きるのは悪くない。ここが人と本との出会いの場になりますように。
冒険、探検もののノンフィクションが好きでよく読む。自分では一生行くことのないであろう場所に赴いて極限的な体験をしている人の話は刺激的だし、だいたい面白い。極地では「死」までの距離が近い。その瞬間に別の判断をしていたら死んでいたかもしれない、という出来事がまま起きる。人々が集まる都市で仕事して、お腹がすいたら家や店でご飯が食べられて、屋根と扉のある部屋で寝る生活では感じることのできない世界である。
一方で冒険ノンフィクションには決定的な構図がある。作中、書き手がどんなに危機的な状況に追い込まれても、「最終的には生きて帰れるのだろう」とわかることである。むしろわかってほしい。途中で「このあと亡くなりました」なんて読みたくない。
しかし、小説となると話は別である。主人公が必ず生きて帰れるのか、最後までわからない。暗がりでおそるおそる足を一歩ずつ前に出すように、読者は先の見えない展開に翻弄される。
「世界のヤバいところで生きている人間たちが食べているメシを撮る」唯一のドキュメンタリー番組『ハイパーハードボイルドグルメリポート』を制作した上出遼平が出した最新作『歩山録』は、まさにそんな“先が見えない”登山小説だ。アフリカ最貧国の少年兵、ロシアカルト教団、台湾マフィアなど世界各地の危険地帯に単身取材に乗り込んで映像を撮ってきた著者が書いた作品のテーマが「山」と聞くと意外な気もするが、読んでみると「日常の安心安全が担保されない場所」という部分で共通したものがある。
製薬会社に勤める主人公の山田は、一週間の休みを取って奥多摩から埼玉、長野の県境を歩いて山梨の北杜市へ抜ける登山に出発する。山田は「意味」でがんじがらめになる都市生活から離れ、「無意味」の荒野を歩く山行を紀行文として執筆してどこかの媒体に持ち込み、凡庸なサラリーマン生活から脱する足掛かりを得ようと目論んでいた。理屈・理論を愛し、準備を怠らない山田の登山は万全に行われる――はずだった。
山中で山田は事前には予測しえない、数々の出来事に直面する。歩く地面が柔らかくなったなと思ったら大量に虫が蠢いている上を歩いていた。突然の天候変化で歩いているごく近くに雷が落ちた。山間に漂う強烈な獣の臭いが伝えてくる、すぐ近くにいる熊の存在。山中で出会う、奇妙な人間の予測しえない行動。
山田を襲うアクシデントは極めてリアルである。その一方で、物語の後半は現実と架空の境目が曖昧になってくる。だが奥深い山中で食料を失い生命の危機を感じる状況になった人間が、実際にそこには存在しないものを見たとして、はたしてそれは「架空」と断じられるものなのだろうか? 日々の食事に困らず、スマホをいじっていられる環境の人間が「そんなことあるわけない」と笑えるものなのだろうか?
著者の上出氏は学生時代の登山中に遭難寸前の危機的状況に陥った経験を持つという。そのときの経験や感情が、この小説の中で主人公にトレースされているような印象を受ける。「どこまでがリアルで、どこからがフィクションかわからない」。その線引きが薄く曖昧であればあるほど、見るものを引き付けるエンタテインメントになるのは小説、漫画、映画、ドキュメンタリー、すべてに共通することではないかと考えている。
評者/伊野尾宏之
1974年、東京都生まれ。伊野尾書店店長。よく読むジャンルはノンフィクション。人の心を揺さぶるものをいつも探しています。趣味はプロレス観戦、プロ野球観戦、銭湯めぐり
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