更新日:2023年12月14日 18:57
エンタメ

元“バズーカップ”アナウンサーのその後。日雇いバイトや「中途採用に50社ぐらい応募」を経て――2023年大反響トップ7

2ちゃんねるのスレッドがきっかけでグラビアデビュー

別府彩 そして仕事を続けること6年。大きな転機が訪れる。フリーアナウンサーでありながら「グラビア」デビューをしたのだ。 「2ちゃんねる(現5ちゃんねる)のオートレース掲示板に私のスレッドが立っていて、胸が話題になっていたんですよね。そんな背景もあって、週刊誌の方が『グラビアをやってみたら面白いのでは?』と提案してくれたんです」  メディアで女性アナウンサーの“タレント化”が進むいっぽう、グラビアに登場するのは珍しかった時代。NHKアナウンサー(当時)の古瀬絵理さんが「スイカップ」と取り上げられて注目を集めていたこともあり、別府さんにも「年末号の特集でグラビアデビューしてみませんか?」と声がかかったのだ。 「性的な目で見られることに抵抗がなかったわけではありません。しかし、今までとは違う仕事を頂けるきっかけになるのであれば、チャレンジしてみようと思いました。オートレースは狭い世界ですが、それでも女性レポーター同士の競争があります。アナウンサーであることに加え、もう一つ武器になるものがあれば、という考えもありました」

「バズーカップ」で話題になるも、その後は単発の仕事で食いつなぐ日々

別府彩 2007年、グラビアデビュー。Gカップだったことから編集部に付けられた「バズーカップ」というキャッチコピーで大きな話題となった。 「雑誌発売前の原稿確認で最初に『バズーカップ』のキャッチコピーを見た時は、“親がどう思うかな……”と少し不安になりました。でも編集部の方に『このくらいインパクトがあるほうがいい、編集会議では大盛り上がりでしたよ!』と言われたこともあって、“せっかくここまで来たのだから”と思い返しました。両親には発売前日に伝えましたが、実際のリアクションは『へー、そうなんだ』くらいでしたね。もちろん、動揺はしていたはずですけど」  グラビアが好評だったことを受け、別府さんはさらに活躍の場を広げるべく、雑誌と履歴書を様々な芸能事務所に送った。アピールは功を奏し、ホリプロに所属が決まる。 「所属して3か月ほどで、なんと『踊る!さんま御殿!!』への出演が決まったんです。俳優と合コンをしたエピソードを披露しました。とても盛り上がったのですが、それ以外ではあまり爪痕を残せなかったんです……さんまさんは、出演者に話をふる前に“次いくぞ”と目で合図をするのですが、自信がなくて逸らしてしまって」  ホリプロに所属した2007年には写真集も発売した。しかし、さんま御殿でのチャンスをモノにできなかったことが災いしたのか、仕事はそこまで増えることはなかった。2009年にはすべてのレギュラーが終わってしまい、再び単発の仕事で食いつなぐことに。 「単発の仕事しかない状況で、収入だけでなくメンタルも不安定になりました。エステサロンのDMはがきのシール貼り、青汁のテレアポなどの日雇いアルバイトをしたこともあります。精神的にも金銭的にも追い込まれていたのですが、そんな時に母が『アナウンサー以外の仕事も探してみたらどう?』と言ってくれて。一度アナウンサーの仕事を離れてみようと考えました」  就活を始めた別府さんだが、会社員経験がなかったため、中途採用の求人に片っ端から履歴書を送るも、そのほとんどが不合格だった。
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50社ぐらい応募してようやく採用
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インタビュー・食レポ・レビュー記事・イベントレポートなどジャンルを問わず活動するフリーランスライター。コンビニを愛しすぎるあまり、OLから某コンビニ本部員となり店長を務めた経験あり。X(旧Twitter):@KA_HO_MA

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