スポーツ

「三塁手の坂本勇人」にかかる期待。“晩年の宮本慎也”が理想的なキャリアか

遊撃手としては、史上最多となる2000試合出場を記録した坂本勇人。その他の記録を見ても、球史に残る成績を記録していることはご存じのとおりだろう。昨シーズンから、代名詞でもあった遊撃手から三塁手に守備位置を変えており、今年は本格的に三塁手としてシーズン開幕を迎える。 さて、過去に同様の“コンバート経験”のある名遊撃手たちは、どのような成績を残しているのか気になるところだ。それぞれ所属球団で一時代を築いた宮本慎也、井端弘和、鳥谷敬のキャリアをひも解いてみよう。

宮本慎也:三塁手でも4年連続でゴールデングラブ賞

まずは、坂本が若手の時に自主トレで守備について指導をした元東京ヤクルトスワローズの宮本慎也だ。宮本は、1990年代後半から2000年代序盤までゴールデングラブ賞を6回も獲得していたほどの名手。キャリア晩年の時期に坂本と同様に遊撃手から三塁手にコンバート。 2007年:遊撃手:打率.300、5本塁打、39打点、OPS.722 2008年:シーズン中に三塁手にコンバート:打率.308、3本塁打、32打点、OPS.709 2009年:三塁手:打率.294、5本塁打、46打点、OPS.719 2度の故障し、レギュラーになってから初めて出場試合数が100試合を切った36歳のシーズンを経て、38歳のシーズン途中から三塁手で出場するように。 コンバートした翌年から4年連続でゴールデングラブ賞を獲得。打撃に関しても、2011年にセ・リーグ史上最年長となる40歳11カ月でのベストナインを受賞した。この年は、統一球で球界全体が打低の傾向だった中で打率3割を記録している。 宮本のコンバートは、間違いなく成功だったと言えるだろう。年齢的には、もう少し早くてもよかった気はするが、多くの選手が苦しむ打球の速さやスローイングに対しても、熟練の技巧で難なくこなしていた。また、打撃面でもレギュラー選手として相応しい成績を残していた。

井端弘和:賛否両論を呼んだ「二塁手へのコンバート」

次は、元中日ドラゴンズ、読売ジャイアンツで現在日本代表の監督を務める井端弘和だ。2000年代のほとんどは、この井端がゴールデングラブ賞を獲得していた。 2009年:遊撃手:打率.306、5本塁打、39打点、OPS.770 2010年:二塁手:打率.261、0本塁打、16打点、OPS.639 しかし、35歳のシーズンとなる2010年に二塁手にコンバートされ、賛否両論を呼んだ。 当時監督を務めていた落合博満氏が「井端の動きが悪くなったんだ。膝をケガしたりなんかしてね。それでランナー・セカンドで(三塁で)止められるものが止められなくなってきて。大学時代、井端がセカンドやってたってのは亜細亜大学の監督から聞いてね」とコメントしている。 それから数年後の2012年と2013年は遊撃手を守っているが、2013年は衰えが隠せない状況に。その後、巨人に移籍した2014年以降は坂本の存在もあって、遊撃手の他に一塁手や二塁手、三塁手を守るなど、ユーティリティプレイヤーとして活躍を見せた。 宮本と同様に、器用にさまざまなポジションを水準以上に守っていたたため、印象は非常にいい。
次のページ
鳥谷敬:コンバートするタイミングが遅かった?
1
2
3
野球評論家・著作家。これまでに 『巨人軍解体新書』(光文社新書)・『アンチデータベースボール』(カンゼン)・『戦略で読む高校野球』(集英社新書)などを出版。「ゴジキの巨人軍解体新書」や「データで読む高校野球 2022」、「ゴジキの新・野球論」を過去に連載。週刊プレイボーイやスポーツ報知、女性セブンなどメディアの取材も多数。Yahoo!ニュース公式コメンテーターにも選出。日刊SPA!にて寄稿に携わる。Twitter:@godziki_55

記事一覧へ
おすすめ記事
ハッシュタグ