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明徳義塾の馬淵監督が「松井秀喜を5打席連続敬遠した」理由。“勝利へのこだわり”が選手に与えたもの

長年高校野球を牽引しているのが、明徳義塾の監督を務める馬淵史郎氏だ。馬淵氏は、「高校野球は教育そのもの」と語っている。毎年、チームの戦力を最大化して勝つ確率を1%でも高め、勝利を掴みとるチームビルディングが非常に上手い。まさに「試合巧者」といっていいだろう。 (※本記事は、『甲子園強豪校の監督術』(小学館)より、抜粋したものです)
明徳義塾

第74回全国高校野球 3回戦 広島工対明徳義塾 うなだれる明徳の馬淵監督ら ©産経新聞

昭和、平成、令和で勝ち続ける明徳義塾・馬淵史郎の観察眼

馬淵氏の野球は「教科書通り」といっていいほど、セオリーに基づいたものである。また、戦略家のクレバーなイメージとは裏腹に、期待する選手には要所の場面で激励するなど、優れたモチベーターとしての側面も見せる。馬淵氏がクレバーなイメージを強めた試合は、かの有名な1992年夏の星稜との試合だ。相手は、松井秀喜(元ニューヨーク・ヤンキース)を擁しており、その松井に対して明徳義塾は5打席連続敬遠をした。今でも語り継がれる試合になったが、馬淵氏は確率を考えて勝負をしなかった。 「エースがおったら、全部敬遠はせんかった。あと、うちが先に点をとれずにリードされたら、勝負しとった」とコメントを残すように、明徳義塾はエースが投げられる状態ではなかったのだ。 このように、勝利を徹底して目指すことにより、人生そのものを教えるのが馬淵監督だ。苦しい練習や試合を最後まで諦めずに耐えて結果を出した経験は、人生にも応用できることだろう。また、人は成功体験から成長することが多く、選手達が勝利を掴んだ経験を得ることで、野球選手としてだけではなく、今後の人生においても大きく成長できるのではないだろうか。

結果を出し続けてきた「高校野球の教科書」

チームビルディングを見ても育成や采配、対戦校への作戦などを見ても、「高校野球の教科書」と呼べるかたちで、甲子園を勝ち上がってきた馬淵氏。社会人野球を含めると、昭和・平成・令和で監督を経験しており、3つの時代で結果を残している。1986年には社会人日本野球選手権で監督として準優勝し、高校野球の監督になってからは、2002年夏には、エースの田辺佑介や森岡良介(元・東京ヤクルトスワローズ)などを擁して甲子園を制した。この年はチーム打率.361、チーム防御率2.17、犠打24、失策4とまさに教科書に書いてあるような強いチームだった。 また、ルール変更への対応力や試合中の状況判断力も優れており、Uー18の日本代表監督では、ディフェンス力と正確性の高いスモールベースボールで、初の世界一に導いている。以下が、馬淵氏就任時と前任者の明徳義塾の甲子園での成績である。 ・竹内茂夫氏就任時:7勝4敗、春の甲子園に6回、夏の甲子園には2回出場。 ・馬淵史郎氏就任時:54勝35敗、春の甲子園に16回(交流試合含む)、夏の甲子園には21回出場。夏優勝1回、 明治神宮野球大会優勝1回。※甲子園初戦20連勝を記録。
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「今の高校野球の王道」には反しているかもしれないが…
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野球評論家・著作家。これまでに 『巨人軍解体新書』(光文社新書)・『アンチデータベースボール』(カンゼン)・『戦略で読む高校野球』(集英社新書)などを出版。「ゴジキの巨人軍解体新書」や「データで読む高校野球 2022」、「ゴジキの新・野球論」を過去に連載。週刊プレイボーイやスポーツ報知、女性セブンなどメディアの取材も多数。Yahoo!ニュース公式コメンテーターにも選出。日刊SPA!にて寄稿に携わる。Twitter:@godziki_55

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