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松本人志が「自身の才能に喰われてしまった」理由。間違ったのは松本人志“だけ”ではない

掘り返される過去の言動

 新証言が相次ぐ松本人志の性加害疑惑。過去の言動も掘り返されています。  直近では『松本人志と世界LOVEジャーナル』(NHK 2023年10月17日放送)での発言。アダルトビデオからの誤った影響を認めつつ、女性の顔に精液をかけるのが好きだったと語っていました。また2001年のラジオ番組『放送室』(TOKYO FM 2009年3月終了)では、小学生の女児でも「乳出てたらイケるよ」、「胸がぷっくり出たら、もうそれは、ご賞味あれと。お試しあれ」と、性の対象であると公言していたのです。  さらにさかのぼって、1994年のベストセラー『遺書』(朝日新聞出版)には、こんな一文もありました。 <オレなら、自分に娘ができて、そいつがいろんな男に輪姦(まわ)されようが、それはもうしゃあない、と思う。それは自分もやってきたことやから。>  20年、30年前の内容もあるし、どのくらい本気だったのか議論の分かれるところかもしれません。いずれにせよ、松本にとってセックスは話芸のレパートリーであり、多くの人たちがそれを楽しんでいました。  それは松本の金脈だったのではないでしょうか。性欲を処理するほどネタが手に入り、あけすけに語れば笑いにシュールさや不良性が生まれる。“笑いこそすべて”との承認欲求も満たされ、おまけに富と権力が増していく。  おおまかに言えば、これが松本人志の論法です。この方法でどぎつさの競争に勝ち、笑いの王者として君臨してきたのです。

間違っていたのは松本人志ただひとりなのか?

 ただし、そんな芸風は長続きしません。一連の疑惑は、このサイクルの破綻を示唆しているのでしょう。  とはいうものの、松本人志だけが間違ったのでしょうか? えげつない下ネタに爆笑してきた制作、そしてファンや視聴者の存在をどう考えればいいのでしょうか?   そんな反応を目の当たりにして自分の方向性は正しいと思ってしまった松本をすべて責められるのでしょうか?  悪どい言動の裏側に豊かな才能があると見がちなエンタメの現象について考えたいと思います。
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露悪的な発言で炎上した小山田圭吾との「共通点」
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音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

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