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29歳の女性僧侶が、受刑者に寄り添う“最年少教誨師”になった理由。「常識を常識と思えなかった」不登校時代を経て

希死念慮は「とても意味のある苦悩」

spa20240305_エッジな人々──それでも“死にたい”気持ちで心が侵食されるのは、あまりにもしんどいですよね。 片岡:私が希死念慮を抱くのは、人から与えられた不快感や攻撃に対してのリベンジ意識からです。そういうとき、自殺行為だけが相手にダメージを与える手段と考えてしまう。無意識に首を吊ろうとしている自分がいて、ふと我に返り、思いとどまることの繰り返し。その都度“自分を言い聞かせる作業”をひたすらしています。具体的には「命を賭すべきはどちらか」を問い、「自分を大切に想う人・自分が大切に想う人」を選び取り、蔑ろにする人たちに振り回されない。こうして乗り越えることが、人に対しての布教にも繫がっていく。だからこれは、とても意味のある苦悩だと思えるのです。

宗教は本来、人が幸せになるためにあるもの

──そもそも私たちには、なぜ宗教が必要なのでしょうか。 片岡:この5〜6年で抽象的な思考の重要性が現代社会でも見つめ直されています。芸術という観点から見ても、抽象芸術にスポットが当てられていたり、“風の時代”が注目されていたり、目に見えない力があることを無意識で感じ始めている。“心の在り方”を大人たちも理屈で学んでいく必要があるのです。それには、宗教・哲学・芸術に頼るほかない。宗教で気づき、哲学で行動し、芸術で体感する。三位一体で必要です。 ──宗教という言葉自体に嫌悪感を抱く人たちもいますよね。 片岡:宗教は本来、人が幸せになるためにあるもの。“人を大切にする”など当たり前のことですが、誰が言うかによって説得力が違う。言葉に重みを持たせるため、人間力を磨く必要がある。そこに人生を尽くすことこそが真の宗教家。私自身はお坊さんに見えなくても、話すと“なんだかこの人は違うな”と思われる精神をつくっていきたい。仏教を言葉で伝えなくても滲み出るような存在になれたら、それこそが一番の布教になると思います。 Myosho Kataoka 1995年1月17日、香川県生まれ。養護学校を卒業後、京都府にある芸術系の大学へ入学。1年休学後、中退し、中央仏教学院へ。現在は実家である慈泉寺の僧侶で、布教使、教誨師として活動。’23年11月からは通信制サポート校「無花果高等学園」の運営に参画 取材・文/橋本範子 撮影/杉原洋平
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