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「若いってことに価値はない」北野武が語る“生きづらさ”をぶち破る方法

人生100年時代、定年後はどうやって生きていけばいいのか

 よく「定年後に備えて趣味を持て」なんて言うよな。だけど、あれは嘘なんだよ。その趣味がいかにおもしろいかということを知るには、さすがに定年後だと遅すぎる。  だって、本当の趣味というのは、会社勤めなんかをしている間に「親が急病で」なんて会社に嘘をついてまでしてゴルフや釣りなんかをすることなんだから。そうまでしてやるのが趣味なんで、定年後に何か趣味でも始めようかといったって絶対に続かないよ。  親族の葬式だって嘘を言って仕事をサボって陶芸をして、できた焼き物を香典返しだって上司に渡すくらいずうずうしいことをしないと趣味なんて見つからないんだよ。時間が足りない中で、なんとか趣味の時間を捻出するくらいじゃないとダメなんだ。  ただ、仕事が趣味という人がよくいるけど、あれは仕事が趣味というより人間関係が趣味なんだろうね。新橋の飲み屋街に行くと、仕事帰りのサラリーマンが楽しそうに飲んでたりする。違う会社の人間同士が飲んでたり、定年後も新橋で待ち合わせして一緒に飲んだりしているんだ。  それは仕事仲間でもないわけで、仕事帰りにたまたま同じ飲み屋で会っているような人間関係の雰囲気が好きなんだね。映画の照明さんにも現場の雰囲気の好きな人がいる。定年で仕事をやめても、同じように自分が過ごせる場所という環境づくりが大事なんじゃないかな。あとは、自分でそうした場所を開拓することだね。

今を生きる

 オイラ、大きなバイク事故を起こしたことがあったんだけど、その後、病院で目が覚めるのが嫌だったんだよ。事故って入院するまでの記憶がないんだから、もしかしたらオイラ、死んでるんじゃないかって思ってね。  でも目が覚めると、オイラ、生きてるんだって思ったんだけど、退院してから自宅で朝、起きるときも、目が覚めたらまだ病院だったら嫌だな、なんてことを思ったりもしてた。だから、薄目を開けながら起きたりしてたんだ。  ゴルフをやっていいスコアを出したときも、あれ? これって病院で見てる夢なんじゃねえかって思ったりね。  パラレルワールドってのがあるんだけど、これは無限の数の宇宙があるという話で、今の現のオイラと、片っぽでは死んでたり、片っぽでは浅草でまだ漫才をしてたりという別のオイラがいるんじゃないかと思ったりする。  ただ、実感があるのは今なので、あんまり気にしないようにしてる。楽しく生きるって考え方はずうずうしいことだと思ってる。生きていくことは苦しいことで、おまけとして楽しいことがたまにある。  ただ、普通に生活している中で苦しいなんていちいち思ってないけどね。どうも、楽しく生きるってのは実感がないんだ。一番楽しいのはくたばるときだと思ってる。  死ぬときが一番楽しいのかもわかんないね。この世に生まれて生きているってことは、かなり苦痛だし、罰のようなもんだと思ってる。だから「いつでもくたばってやるぜ」って思っているからね。
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人生に期待するな 人生に期待するな

全ての悩める現代人に捧げる
たけしによる福音書

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