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佐々木麟太郎の17年前に“高卒で渡米した”球児は現在…「4人の先駆者」のキャリアを辿る

史上初の快挙を成し遂げた加藤豪将

昨年からファイターズでプレーをする加藤豪将は、親の仕事の兼ね合いで、幼少期からアメリカで育った。高校時代は、米カリフォルニア州サンディエゴのランチョ・バーナード高でプレーし、ドラフト会議に選ばれる前は、33試合に出場して打率.355、本塁打11本塁打、33打点を記録。高校卒業後は、メジャーリーグのドラフト会議で、ニューヨーク・ヤンキースから2巡目(全体66番目)で指名された。 日本国籍を持つ選手が、メジャーリーグのドラフトの全体100番目以内で指名されるのは史上初の快挙である。しかし、メジャーリーグの道は険しく、なかなかメジャーの舞台には立てないままだった。2022年にようやくメジャーのロースター枠に入り、8試合に出場。 ただ、出番がもらえない日々が続き、2022年の日本のプロ野球のドラフト会議にて、ファイターズから3位指名される。日本球界の1年目は自主トレーニング中に右示指末節骨骨折するなど怪我に苦しむ状況の中で、62試合に出場して打率.210、6本塁打、16打点を記録。まだ2年目とはいえ、30歳になる。早くも正念場と言えよう。 加藤の場合は、高校卒業後の若手の頃に体型や体力に合った基礎練習をしていくなどを含めた下積み期間がなかったことが痛かった。たらればにはなるが、怪我の多い現状を見ると、日本のプロ野球を経験してからでも、遅くはなかったように感じられる。

日本を経由せずにメジャーリーガーになった田澤純一

社会人野球で活躍し、ドラフト前にさまざまな話題を振りまいたのが、田澤純一。現在は、かつて海を渡る前に所属していたENEOSに復帰しているが、れっきとした元メジャーリーガーである。 2008年にボストン・レッドソックスに入団。アマチュアでプレーしていた選手では、日本のプロ野球やマイナー契約を経ず、メジャー契約を結んだ初の日本人選手に。メジャーデビューした翌年から、着実にキャリアを積み重ねる。第一線で活躍し続け、特に、シーズンはもちろん、ポストシーズンも活躍し、上原浩治(元・読売ジャイアンツ)とともにワールドシリーズ制覇に貢献した2013年の姿は鮮烈だった。 この田澤の活躍があったからこそ、NPBを経由せずともメジャーリーグに挑戦できる土壌ができたのは間違いない。時代が違えば日本代表としてマウンドに上がっていたはずだ。
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高校卒業後に渡米していた鷲谷修也
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野球評論家・著作家。これまでに 『巨人軍解体新書』(光文社新書)・『アンチデータベースボール』(カンゼン)・『戦略で読む高校野球』(集英社新書)などを出版。「ゴジキの巨人軍解体新書」や「データで読む高校野球 2022」、「ゴジキの新・野球論」を過去に連載。週刊プレイボーイやスポーツ報知、女性セブンなどメディアの取材も多数。Yahoo!ニュース公式コメンテーターにも選出。日刊SPA!にて寄稿に携わる。Twitter:@godziki_55

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