更新日:2024年09月11日 21:47
ライフ

【小説・中受ウォーズ episode01】散らばるゴミと散らばる夢/藤沢数希

恋愛小説から投資本まで、幅広いテーマで作品を執筆し、ベストセラーを連発している作家の藤沢数希氏。その彼が次のテーマに選んだのは、「中学受験」だった。主人公は、小学6年生の春に山口から転校してきた、陽斗(はると)。「受験戦争」と形容される熾烈な競争に挑む物語が、藤沢氏の手によって濃密に立ち上がる意欲作だ。9.10(火)発売号のSPA!で第二部の開始を記念し、第一話~六話を6日連続で無料公開する。

【第一話】公園を荒らす塾帰りの小学生。陽斗は清掃員と後片付けをした

「こうやって俺たちが仕事を作ってやってるんだ。ありがたいと思え」  桜の花びらが舞い散る希望の丘公園。夕暮れの公園を小学生たちが塾帰りにふざけあいながら歩いていた。 中受ウォーズ  その中心にいたリーダー格の少年が先頭を切り、清掃員のお爺さんをからかいはじめた。さっきまで食べていたお菓子の袋や飲み終わったジュースの缶が彼の手から無造作に投げ出され地面に転がった。それらが清掃員のお爺さんの足元に散らばる。 「ほれ、ちゃんと拾えよ」  こっちは見た目は大人しそうな少年だったが、リーダー格の少年に続いてポテトチップスの袋を無造作に放り投げると、こう冷たく言い放った。 「これこそが社会的分業というやつだ」  リーダー格の少年がそう言うと他にいた仲間の少年たちも場違いな難しい言葉に大笑いした。 「うちの親がいつも言ってるんだ。清掃員って、学がないやつがやる仕事だってさ。いい大学に行かないと、将来はゴミ拾いみたいな仕事しか就けないんだってよ」  少年のひとりが笑いながら言うと、彼の手に持っていたジュースの空き缶を無造作に足元に放り出した。お爺さんがその缶を拾おうとした瞬間、別の少年がそれをサッカーボールのように蹴飛ばした。空き缶が遠くまで飛んでいく。その光景を見て、他の少年たちは大声で笑った。  お爺さんは何も言わず、ただひたすらに散らばったゴミを拾ってはゴミ袋に入れ続けていた。  リーダー格の少年が、公園の端にあったジュースの自動販売機のコーナーに目を向けた。「さあ、最後の仕事だ。俺たちが、仕事をたくさん作ってやらないと、爺さんが生活できねぇからな」  彼がそう言葉を放つと、他の少年たちも薄ら笑いを浮かべながら、自動販売機の脇に設置されていたペットボトルや空き缶のゴミ箱の前に向かった。少年たちがそれらを次々と足で蹴飛ばすと、ゴミ箱は倒れ、中のペットボトルや缶や様々なゴミが少年たちの笑い声と共に公園の地面にぶちまけられた。  彼らはその光景を眺めると、満足そうな笑顔を浮かべながら公園を後にした。ようやく少年たちの足音が公園を離れたが、公園には散らかったゴミが残された。  夜の公園を照らす街灯の灯りの下で、お爺さんは変わらず掃除を続ける。        ◇  お爺さんが一生懸命にゴミを拾う様子を、公園の一角から静かに見つめていたのは陽斗だった。陽斗は、まだこの街のこと、人々のことをあまり知らなかった。  陽斗は何も言わず、お爺さんの横に立ち、いっしょにゴミを拾い始めた。お爺さんは一瞬、陽斗を見つめ、何も言わずに微笑んだ。  お爺さんと陽斗は黙々と公園内のゴミを拾い続けた。お爺さんは空き缶やプラスチックボトル、菓子の袋など、地面に散らばっていたものを一つひとつ丁寧に拾い上げては、分別されたそれぞれのゴミ袋に集めていった。陽斗も同じようにゴミを拾っては、それぞれのゴミ袋に入れていく。  陽斗とお爺さんは、倒れたゴミ箱を起こして、自動販売機の横の元の場所に綺麗に戻した。  拾われたゴミは分別されそれぞれのゴミ袋にきっちりと収まり、パンパンになったゴミ袋たちが綺麗に整列した。広い公園はすっかりと綺麗になった。夜の公園からゴミひとつなくなった。桜の花びらが公園の広場にふわりと舞い降りた。 「ありがとう」  お爺さんが言った。 「何でもないですよ」  陽斗が答えた。 「あのガキどもはこれから受験勉強でストレスが溜まっているんだろう」 「東京では小学生も塾で受験勉強するんですか?」  ストレスが溜まるほど勉強するということが陽斗にはよくわからなかった。 「そうだな。君、この辺じゃ見ない顔だな?」 「お母さんの仕事の関係で、最近、東京に引っ越してきたんです」 「どこから来たんだい?」 「山口県です」 「山口か。いいところだな」 「何もない田舎ですよ」 「瀬戸内の綺麗な海がある。ふぐも美味しいだろう」 「そうですね」と陽斗がうなずいた。「でも、ふぐなんて高くて家では食べられない。いいふぐは東京や外国に売られるから、地元ではあんまり食べられないんです」 「そうか。でも、他の魚も美味しいだろ」 「うん、とても」と陽斗は答えた。「東京で食べる魚はぜんぜん美味しくないって、お母さんも文句を言ってる」 「そうだな。東京で美味しい魚を食べようと思ったら、うんとお金を出さないといけない」 「山口は魚が安くて美味しいですよ」 「東京は人もゴミも溢れているだろ」 「そうですね。でも、いろいろと遊ぶところがあって楽しそう」 「君はまだ小学生か?」 「4月から小学6年生」 「じゃあ、新しい小学校に転校するんだな」 「星野原小学校に通うんだ」 「星野原小学校か。この近くだな……」とお爺さんが言った。「新しい学校でもちゃんと勉強するんだぞ。勉強しないと将来俺みたいになっちゃうからな」 「公園の掃除は立派な仕事だよ」  お爺さんは嬉しそうな表情を浮かべた。「星野原小学校だと、塾に通っている子も多いだろうな」 「そんなに塾でも勉強してるのに、ゴミを公園に投げ捨てて、あんな酷いことを言うなんて、いったい何を学んでいるんですか」  それを聞いたお爺さんは思わず笑い出しながら「君の言うとおりだな」とうなずいた。 「あっ、もうこんな時間だ。早く帰らないと、お母さんに怒られちゃう」  公園の大きな時計を見て、陽斗が言った。 「今日はありがとう」  お爺さんが言う。 「うん、さようなら」        ◇  希望の丘公園からすこし歩くと線路にぶつかった。その線路のトンネルをくぐり抜けると、駅の表側の喧噪からは少し離れ、古びた建物が寄り集まっていた。そこに陽斗が住む3階建てのアパートがひっそりとたたずんでいた。建物の外壁は時間が経って色がすこし褪せていたが、よく町並みに溶け込んでいた。陽斗の部屋は最上階の3階にあり、エレベータがなく階段で上らなければいけなかった。しかし、公園の清掃を終えた後でも、陽斗の体力はまだ余裕で、階段を二段ずつ駆け上がり、息も乱さずに最上階に到達した。アパートの外廊下からは、西方向の空が広がり、三日月が静かに浮かんでいた。 「ただいま」と、陽斗が部屋のドアを開けて声をかけると、キッチンの方からお母さんの姿が見えた。彼女は忙しく料理を作りながらも、息子の帰宅を嬉しそうに迎えた。(つづく) イラスト/bambeam
物理学研究者、投資銀行クオンツ・トレーダー職等を経て、作家・投資家。香港在住。著書に『外資系金融の終わり』『僕は愛を証明しようと思う』『コスパで考える学歴攻略法』などがある
おすすめ記事
ハッシュタグ