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【小説・中受ウォーズ episode03】山口から来た転校生/藤沢数希

恋愛小説から投資本まで、幅広いテーマで作品を執筆し、ベストセラーを連発している作家の藤沢数希氏。その彼が次のテーマに選んだのは、「中学受験」だった。主人公は、小学6年生の春に山口から転校してきた、陽斗(はると)。「受験戦争」と形容される熾烈な競争に挑む物語が、藤沢氏の手によって濃密に立ち上がる意欲作だ。9.10(火)発売号のSPA! で第二部の開始を記念し、第一話~六話を6日連続で無料公開する。

【第三話】公園を荒らした塾帰りの、少年グループのリーダーが、同じクラスにいた

 新学年の始業式の日、朝の日差しが星野原小学校の体育館に差し込んでいた。体育館には全校生徒が集まり、生徒たちはお互いに会話を楽しんでいた。まだ誰も友達がいない陽斗は静かにひとりで席に座っていた。しばらくすると、年配の男性が壇上に現れた。校長先生だ。 「みなさん、おはようございます」と校長先生がスピーチを始めた。 中受ウォーズ「新しく星野原小学校の仲間になった1年生のみなさん、そして新たに転校してきたみなさん、心からの歓迎の言葉を申し上げます。新たな旅が、今日から始まります」  陽斗は校長先生が転校生の自分にも歓迎の言葉をかけてくれたことで、すこし安心した。さらに校長先生の話は続いた。 「最近、〝親ガチャ〟という言葉を聞いたことがあるかもしれませんね。これはたまたま生まれた家庭で未来が決まってしまう、という考え方です。でも、それは本当だと思いますか? いいえ、それは違います。私たちは、自分の未来は自分で作り出すことができます。未来は、毎日の努力で作り出すものなのです。天は自ら助くる者を助く、古くから伝えられる言葉があります。これは、必死に努力をすれば、自然と助けてくれる人たちが現れ、結果はついてくるということです。親ガチャが全てを決めるわけではありません。みなさん一人ひとりが、自分の力で未来を切り開くことができるのです」  校長先生の言葉は続いたが、陽斗が新たな学校生活への思いを馳せているうちに、気付けば始業式は終わっていた。  その後、各クラスの担任の先生に連れられ、生徒たちはそれぞれの教室へと戻っていった。陽斗のクラスは6年2組で、若い女性の渡辺先生が担任だった。入学前にプリントなどの配布物を学校に取りに行った時に渡辺先生が対応してくれたので、今日が初対面ではなかった。優しそうな先生で、陽斗は、彼女が自分の新しい担任の先生になると知って、安心した。  渡辺先生といっしょに陽斗たちは教室に戻ってきた。陽斗の席は窓際の前から2番目の席である。 「みなさん、おはようございます。今年一年、よろしくお願いします」と渡辺先生は明るく挨拶した。  渡辺先生は朝の会を始める前に生徒たちに特別なお知らせがあると告げた。 「こちらが星野原小学校に転校してきた、山本陽斗君です。山本陽斗君、自己紹介をお願いします」  いっせいに陽斗に注目が集まる。周囲の目が自分に向けられているのを感じて、陽斗はすこし緊張しつつも、自己紹介を始めた。 「おはようございます。山本陽斗です。山口から来ました。趣味は魚釣りとサッカーです。好きな勉強の科目は理科です。みんなと友達になれることを楽しみにしています。よろしくお願いします」  陽斗の自己紹介が終わると一斉に拍手が起きた。陽斗は自己紹介が無事に終わってほっとした。 「みんなはお互い知っていると思いますが、新学年ですし、山本君も新しく加わりましたから、各自自己紹介をしていきましょう」と渡辺先生が提案し、席の順番にひとりひとりの生徒が立ち上がり自己紹介を始めた。 「皆さん、初めまして。小林美優です。趣味は読書とピアノを弾くことです。よろしくお願いします」  廊下側の一番前に座っていた子から自己紹介が始まった。小林さんは大人しそうな女子だった。順番に他の生徒たちもそれぞれ自分の名前、趣味、春休みの思い出などを話した。陽斗は皆の話に耳を傾けた。 「こんにちは! 宮下さくらです」陽斗のとなりの席の子が自己紹介を始めた。「バトミントンクラブで活動しています。放課後いっしょにバトミントンできたら嬉しいです。よろしくね!」  宮下さんは明るそうな感じの女子だった。他の生徒たちもどこにでもいるような普通の子供たちで、陽斗はそのことに安心を覚えた。  しかし、その安心はすぐに消え去ることになる。自己紹介の順番が最後列まで行くと、身長が高くがっちりしている体型のやつで見覚えのある顔だった。 「新見健次です。よろしく」  間違いない! 希望の丘公園で清掃員のお爺さんをいじめていたやつらの中のリーダー格の少年だ。そういえば、さっき趣味はテレビゲームとやる気がなさそうに自己紹介していた田島太一というちょっと太ったやつも公園でいっしょにいた。  彼らが同じクラスだと知り、胸騒ぎがしてきた。あんな酷い連中と仲良くなれる気がしなかった。  陽斗の心が少し重くなっていった。深呼吸をして、自分を落ち着かせた。窓の外を見ると、誰もいない校庭に、ぽつんと忘れられたボールが転がっていた。  自己紹介の時間が終わると、新しい教科書の配布が始まった。教科書の山が教室の前にドカッと置かれていて、渡辺先生が教室の一番前の席に座っている生徒たちを呼んだ。  教室は横に6つ、縦に6つの席があり、ちょうど合計36人の机があった。先生に前に呼ばれた生徒たちは、6人数分の各教科の教科書を手に持ち、自分の分を1冊取っては後ろの席に回していく。陽斗の列の一番前は、小島大樹くんというオセロ将棋クラブの男子だった。小島くんから次々と新しい教科書が渡された。  陽斗は受け取った新しい教科書を机の上に並べた。そして、渡辺先生の指示通りにすべての配布物が揃っているか確認して、名前を書き込んでいく。その時、となりの席の宮下さくらが話しかけてきた。 「ねえ、陽斗くん。山口から来たって聞いたけど、山口ってどんなところ?」 「うーん、山口は、まあ、自然が多いところかな。綺麗な海があって、釣りが好きな人にはいいところだよ」  さくらは大きな瞳で陽斗を見つめ、興味津々にうなずいた。「それって素敵だね。私、海が好きだから、いつか行ってみたいな」  陽斗はさくらが話しかけてくれたことが嬉しく、少し心を和ませた。        ◇  始業式は終わり、生徒たちはそれぞれの家路についた。陽斗は学校から自宅のアパートへの道のりを歩き始めた。途中、希望の丘公園を通り過ぎた。あの清掃員のお爺さんはいなかったが、とても綺麗になっていて、ゴミひとつ落ちていなかった。新見や田島のことを考えると気が重くなったが、宮下さくらとの会話を思い出すと、何となく明るい気持ちになった。  アパートに着くと、陽斗は3階まで階段を上がった。持っていた鍵でドアを開けて部屋の中に入った。今日はお母さんは仕事なので夕方まで帰ってこない日だ。陽斗は誰もいない部屋に教科書がいっぱいで重くなったランドセルを放り投げ、少し疲れたからか、ベッドに横になった。 イラスト/bambeam

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物理学研究者、投資銀行クオンツ・トレーダー職等を経て、作家・投資家。香港在住。著書に『外資系金融の終わり』『僕は愛を証明しようと思う』『コスパで考える学歴攻略法』などがある
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