この大学に4年間も居たら「人生はつまらないんじゃないか」
結果、現役時代は進路指導の方針通りに勉強し、前述の通り静岡大学教育学部に進学した。学校のカリキュラムをこなし、国立大学への進学を叶えるも、高校時代は閉塞感を抱えて生きた。静岡大学にたどり着いたのは、結局のところ、自由な環境を追い求めて都心部に行きたいという気持ちと、当時の学力との兼ね合いによるところが大きい。
「勉強はそこまで好きではありませんでしたが、さりとて偏差値レースを拒絶するほどに進路に対して固まった意思もなくて……。結局、『ライ麦畑で捕まえて』という小説の登場人物に影響され、迷う子どもを助けられるような存在になりたいと思い、教育学部を選びました。今思えば浅はかな考えだと思います。
私にとっての大学生活の始まりは、新入生歓迎会で受けた悪質なドッキリ。オリエンテーションで1年生の中に先輩が紛れてるという内容なのですが、緊張しながらも周りとこれからの人間関係を必死に築いている新入生の気持ちを尊重してないと思いましたし、僕らの驚いた顔を見て楽しそうにしている上級生に嫌な印象を抱きました。男性の先輩が
『女子学生の中で誰が一番可愛いと思う?』と聞いてきたのもとても不快になりました。なんでそんなことを聞いてくるのか、自分も来年再来年にはこうなるのか、と。
その後も大学生活は思ったよりも楽しくなくて、
『とにかく何かしなきゃ』という焦りだけはあるのに、授業も課題も全くやる気が起きず。このままこの大学に4年間も居たら、人生はつまらないんじゃないかと、不安でいっぱいでした」
大学入学以降、焦燥感だけが募る日々が続いた。しかし、その時間は無駄にはならなかった。興味関心を見つめ直し、自分自身の人生に深く向き合うトリガーを引く出来事になったのだ。
当時、流太さんは、NHKが主催する『18祭』という、18歳世代の様々な想いを聞いて大物アーティストが新曲を作るイベントに向けて、2×5mの大きな絵を描くパフォーマンス動画の撮影に取り組んでいた。大変だったが楽しい――そんなポジティブな感情が、流太さんの「絵を描きたい」という気持ちに火をつける。
おのずと封印していた東京藝大への思いもぶり返し、家族を説得した末に、大学を休学して東京の美大予備校に通うことを決意。
「浪人して最初の時期に一番辛かったのは、周りとの実力差。
一般的な大学受験で喩えるなら、偏差値50くらいなのに東大コースの授業を受けちゃった感じです。今まで周りから『絵が上手い』としか言われてこなかったわけですけど、
予備校内では圧倒的に最下位という実力からのスタートで」
無理もない。流太さんは美大予備校に行くまで、美術部に所属したこともなければ、誰かに絵を教えてもらったことすらない状態。
とはいっても逆境から始まった浪人生活の苦みも、いま振り返ると心地よさが残っているという。
「上手く描けなくて精神的に辛くなることや休みたい日はありました。けれども、モチベーションが下がったり、放り出したくなるようなことはありませんでした。逃げ場はないし、描くしかない。
制作し続けられる環境が幸せだと思って」
アートとアイドルが好きな大学院生。過酷な幼少期をバネにアイドルプロデュース(アイドル失格)を中心に様々な制作に励んでいる。
SNSまとめ記事一覧へ