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“違法な攻略法”で稼いだ50歳元パチプロの「その後の人生」。ブラック企業に就職した結果…

ヤマちゃんとの突然の別れ

パチスロ だが、楽しい時間が長く続かないのは世の常。ヤマちゃんとの別れがやって来たのであった。 「ある日、ヤマちゃんと飲んでいたときに『オヤジから跡を継いでくれって言われてさ、このままスロット打って生きてくのもなぁって思ってたところだし、実家に帰ろうかなって』と言われたんです。なんかもう、すごい喪失感でしたね。心に穴が空くっていうか……。スロット打っても心ここにあらずみたいな感じになってしまったんです」  とは言え、悠々自適ともいえる生活を捨てて社会人になるという選択を、大場さんはなかなか選ぶことができずに、その後もスルズルとスロットを打って日銭を稼ぐ日々を過ごしていった。 「ある日朝から4号機の初代秘宝伝を打って、設定6を摑んだんです。最初はすごく興奮したんですが、夕方くらいからはもう、出るのが当たり前で完全に“作業”になったんですよね。結局、1万2000枚出て、そのメダルを流すのを見てたら、ふと『もう、いいかな』って思い、これがきっかけでスロプロ生活から足を洗いました」

パチプロ引退後の就職先は…

 その後、大場さんは履歴書を書きまくり、なんとか潜り込んだのは小さな広告代理店だった。 「広告代理店って言っても、インチキ出会い系のデタラメな広告を作る会社でした。もちろんブラック企業(苦笑)。会社というか事務所に3日泊まり込みとかザラでしたね。夜中の2時まで仕事やって帰ろうとしたら、飲みに連れて行かれてそのまま昼前まで飲んで、会社で仮眠して夕方から営業行って……みたいな生活でした。アホみたいに忙しかったんですが、ノリが合っていたのか居心地はよく、結局30歳過ぎまで厄介になりましたね。それからはweb系のまともな広告代理店に転職して、何度か広告代理店や広告制作会社を転職して、今は最初に入った広告代理店の先輩がやってる制作会社でディレクターやってます」  パチプロから制作会社のディレクターとは、驚くべき人生である。いわば、勝ち組ではなかろうか。そう大場さんに問うと、大場さんは複雑な顔をしてこう答えた。 「オレが20代の頃から雑誌で見かけたパチスロライターが今でも現役でやってたりするのを見ると、オレはあそこまで極められなかったし、オレは本当にスロットが好きだったのか? バンド諦めてまでのめり込んだあの時間は、実は無駄だったんじゃないのか?って思いますよ。決して勝ち組なんかじゃないです」 「年を取るとモヤモヤしちゃうんだよなぁ」と胸中を話してくれた大場さん。だが、自堕落な生活から抜け出し、今の地位を摑むまではそれ相応以上の努力があったことは間違いない。それは誇ってもいいのでは……と聞くと、大場さんは「そんなもんかなぁ」と複雑な顔を見せた。 取材・文/谷本ススム
グルメ、カルチャー、ギャンブルまで、面白いと思ったらとことん突っ走って取材するフットワークの軽さが売り。業界紙、週刊誌を経て、気がつけば今に至る40代ライター
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