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“看板の下敷きに”車椅子になったアイドルの今。事故から6年、自分を「唯一無二」と思えるようになるまで

「車椅子の自分」に対する周囲の反応は…

猪狩ともかさん――実際、メンバーや事務所に「もう体は戻らないかもしれない」と伝えた時は、どんな反応でしたか? 猪狩:事務所の方からは、「車椅子に乗っていても仕事はいくらでもあるから、戻ってきていいんだよ」と言われました。メンバーは「猪狩ちゃんが戻ってくるまで、ステージを守るからね」と言ってくれて救われましたね。 ――事故から1か月ほどで、ご自身の状態をSNS上で発信されています。まだ、未来が見えず不安な中だったと思うのですが。すでに、その状態を受け入れられていたのですか? 猪狩:半々というところですかね。事務所やメンバーからの声もあって、車椅子のままでも仮面女子として頑張っていくという気持ちではあったんですが、やっぱり本当にできるのか不安だったというのが本音です。 ――SNSで発信してみてファンの方はどんな反応でしたか? 猪狩:「待ってるよ」とたくさんの方が言ってくださって、本当に支えになりました。それがあったからこそ「またステージに戻ろう」と思えましたね。

「ごめんね」ではなく「ありがとう」

――それでも、実際に活動に戻るには苦労も多かったと思います。 猪狩:最初は、メンバーもどのように手助けをしたらいいかわからないと感じていたと思います。私も、どうやってヘルプを出したらいいかがわかりませんでした。でも、その解決方法は「一緒の時間をたくさん過ごすこと」だけなんですよね。 例えば、普通の人なら気にならないものでも、床に物や配線があることで、私にとっては動線がないときは「どけてほしい」と、今では自然に伝えられます。メンバーも曲中のフォーメーション移動で、私が物理的に間に合わないことがわかった時に、次のリハーサルまでにフォーメーションの変更を提案してくれたりします。 ――それでも、周囲にお願いすることが増えると、申し訳ない気持ちが積もりませんか? 猪狩:それは今もあります。こちらからお願いすることが増えたので、その度に申し訳なく思います。でも、「ごめんね」ではなく「ありがとう」と伝えるように心がけています。
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「猪狩さんにしかできないことがある」と言われた
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Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。

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