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債券が「危険資産」に豹変した1998年の話

吉田恒

吉田 恒氏

 欧州も不安、米国も頼りないといったことで、資産運用の世界ではとてもリスクなど取れないとして、「安全資産」債券を買う動きが続き、日本の10年国債利回りはついに約9年ぶりの0.7%まで低下してきました。  ところで、史上初めて、10年国債利回りがこの0.7%まで低下してきたのは1998年でしたが、じつは直後から債券は「危険資産」に豹変するところとなったという話を今回はご紹介します。 ◆「安全資産」債券シフトはいかに変化したか  1998年秋、世界経済は重苦しい暗雲に覆われた状況となっていました。大手ヘッジファンドの破たん、中南米クライシスなどが相次ぐといった大混乱が続いていたのです。  為替でも「大変な相場」が起こっていたのです。なんと、たった3営業日でドルは25円もの大暴落となりました。  10月6日、135円程度から一日で約10円のドル安になると、翌日も同じく10円のドル安、そして3日目にはついに110円割れ寸前までドル安・円高が進んだのです。  そんな為替が関係したわけではなかったのですが、同じころ、日本の大手銀行の破たんが決まりました。そんな最悪の状況の中で、株価も暴落となったのです。  ただ、結果的に見ると、それは「悲観の極」、「陰の極」でした。この大手銀行破たんとなった10月上旬に、株価は大底を打ったのです。それにしても、このような大きな局面の転換は、後になってからではないとなかなかわからないもの。渦中においては、依然として「大変な状況」が続いていたのです。  11月になると、大手格付け会社が、日本国債の格付けを、最高格付け「トリプルA」から「ダブルA」に引き下げました。「大変な状況」の中で「安全資産」として買われ続けた日本国債の利回りは0.7%程度まで低下していましたが、この「最高格付けはく奪」で利回り上昇、価格反落となりました。  これに続いて、財務省、当時の大蔵省が、定期的に国債を購入していた動きを止めると発表すると、この債券価格下落、利回り上昇の動きはいよいよ決定的となったのです。日本の10年国債利回りは1%を超えて、さらに1.5%を超えると、「止まらない金利上昇」となったのでした。 ◆債券安阻止の切り札となった日銀ゼロ金利  それまで「大変な状況」の中で、「安全資産」として債券買いが続いてきた結果、金融機関を中心に、大量の債券を保有する状況となっていました。  ところが、その債券が急落に転じたのです。一転して、債券ポートフォリオの損失拡大が重大問題になりかねない構図と変わったのです。  10年国債利回りは、ついに2%も突破すると、年が明けた1999年には2.5%に向かう動きとなりました。  この債券暴落阻止、「ストップ・ザ・金利上昇」で登場となったのが、日銀のゼロ金利政策でした。1999年2月、日銀が史上初のゼロ金利政策を決定すると、ようやくこの「狂った金利上昇」は止まるところとなったのです。  これが、1998年から1999年にかけて、「安全資産」債券が、「危険資産」に豹変した顛末です。大手経済紙は、1998年9月、ちょうど10年国債利回りが0.7%まで低下する時、「国債選好の動きは変わらない。当面これといつた売り材料は見当たらない」と書いていました。  ところが、それから間もなく、国債利回りは底を打ち、3ヵ月後には何と2%を突破する動きになったのです。  さて、今回の場合は、まだ債券は「安全資産」であり続けるのでしょうか。一部に、「1998年秋に似ているのではないか」といった声もあるのですが、果たして? 【吉田 恒氏】 1985年、立教大学文学部卒業後、(株)自由経済社(現・(株)T&Cフィナンシャルリサーチ)に入社。同社の代表取締役社長などを経て、2011年7月から、米国を本拠とするグローバル投資のリサーチャーズ・チーム、「マーケットエディターズ」の日本代表に就任。国際金融アナリストとして、執筆・講演などを精力的に行っている。また「M2JFXアカデミア」の学長も務めている。 2000年ITバブル崩壊、2002年の円急落、2007年円安バブル崩壊など大相場予測をことごとく的中させ話題に。「わかりやすい、役立つ」として、高い顧客支持を有する。 著書に『FX7つの成功法則』(ダイヤモンド社)など
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