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ドアを開け放ちケツ丸出しで寝ている住人も…混沌とする黄金町

「ちょんの間」時代の黄金町の様子

ネオンが煌びやかな「ちょんの間」時代の黄金町の様子(写真提供・『俺の旅』編集部/ミリオン出版)

 かつて、関東有数の“裏”風俗エリアとして名を馳せた横浜・黄金町。04年に横浜市による浄化作戦が行われる以前は、「ちょんの間」と呼ばれる違法の特殊飲食店で、1000人近いアジア系や南米系の売春婦たちが働いていた。  そんな黄金町も、3年ほど前からはNPO主導で「アートな街」としての町おこしが行われている。 「ちょんの間」の跡地を芸術家のアトリエやギャラリー、ショップにして再利用。穴場スポットとして、女性誌などで紹介され、今夏には「横浜トリエンナーレ」という一大アート展も控えている。  そうして生まれ変わったかに見える黄金町。しかし、「それはあくまで一部で、実際にはゴーストタウン化している場所も多いです」と言うのはある地元紙の記者だ。 「こうしたアートによる町おこしは行政にとって“おいしい施策”なのです。新たに建物を建てる必要もなく、カネもさほどかからないし、運営もアート関係のNPOに丸投げで手間もかからない。それだけに安易に行われているケースも見られます」  そこで実際に黄金町を訪れると、日曜の午後だというのに、人の気配がほとんどない。中には、かつての米軍兵用の連れ込み宿を再活用したギャラリーとカフェの複合施設など、ユニークなスポットもなくはないが、お世辞にも活況とは言えない状況だ。 ◆レンタルルーム化し、生活保護詐欺なども横行 黄金町1 約250軒もの元ちょんの間の店舗にはアトリエも散見できるが、圧倒的に目立つのは空き店舗やレンタルルームだ。こうしたレンタルルームは「生活保護受給詐欺や貧困ビジネスの温床になっている」(前出の記者)という。住居周辺を歩いてみると、ドアを開けっ放しにして住人がケツ丸出しで寝ている部屋もあり、なんとも言えない空間が広がる。 「ちょんの間の店舗はそれぞれ地権者が異なっていて、権利関係も複雑。地権者まで辿り着くのすら困難で、多くは売春の復活を願っているので、アトリエへの転用がなかなか進まないんです」(同)  ちょんの間だった頃は1店舗で月に数百万円の売り上げがあった。暴力団も売春の復活を虎視眈々と狙っており、最近まで若い衆を町に常駐させていたという。  また、行政側が売春復活を防ごうと、アーティストの作品に制約をかけていることも不評をかっている。アトリエを構えるあるアーティストは、「売春を連想させる作品や、ピンク色を使っちゃダメとかいろいろうるさい」と話す。  また、長年この界隈に暮らす住民は次のように語った。 「市主導の町おこしだから補助金漬けだし、最終的には商業地として再開発の噂もあるんです。元ちょんの間だとテナントも嫌がるけど、アートな場所ならそうじゃない。町の活性化よりもちょんの間だった過去をなかったことにしたいだけなんじゃないかな」  ある意味、ちょんの間時代よりもさらに混沌とした空間が、黄金町にできつつあるようだ。
黄金町 レンタルルーム

何棟も連なる空き物件は、そのほとんどがレンタルルームとして貧困層を中心に貸し出されている

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